理屈よりも体の感覚が好き。直感が大事。


by hiroQ111
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カテゴリ:発想を爆発せよ( 7 )

フェイントをかける。

小さいころ、といっても小学1年生。

いまから思えば、たくさんの疑問を持ちながら
誰にも問わず、自分で解決策を見つけだそうとしていたのかもしれない。

あるいは、こどもながらに、
その疑問は「変だ」と気づいていたのかもしれない。
だから、誰にも問わなかったのか、


ある日、学校からの帰宅途中
「自分に見えている世界がすべてなのだろうか?」
ふと頭のなかにそんな疑問が浮かんだ。

「すると、この角を曲がってしまえば、
それまで見えていた世界は停止するのだろうか?」
と、仮説を立ててみた。

私の目に映っている世界だけが生きて動いていて
角を曲がって視界から外れた世界は、一瞬のうちにスイッチがOFFになる。

でも、ホントにそうなのかどうかを確かめるためには
曲がったふりをして、くるっと後ろを振り向かなくちゃ。

私は、何度もフェイントをかけて、もと来た道を振り返った。
何度やっても、私の目に映る世界では、人々はちゃんと生きて動いていた。

「なんて、素早いひとたちなんだろう」


あまりの自我の強さに、クラクラめまいがしそうなほどである。
が、6歳の私は真剣そのものだった。


すっかり忘れていた、こどもの頃のエピソード。


そういえば、幼稚園のころ、
工場の敷地内に入ったとたん、
一緒に遊んでいた近所の男の子たちがその門を閉めて通せんぼした。
出入り口は2つあったので、
私がもう一方の出入り口へかけっていくと、
男の子たちのほうがちょっとだけ早く着いていてその門の前で通せんぼしている。

そこで私は考えた。
右に行くと思わせて、左から出る。
人生初の「フェイント脱出作戦」。

まんまと大成功を収め、
男の子たちの驚いた表情を尻目に
私は小躍りしたい気分だったが、
「こんなの朝飯前よ」といわんばかりの
めちゃめちゃ見栄をはった態度を取っていたように記憶している。
女とは、得てしてそういう種族なのか?


流れを変えたいとき、
生き方を変えたいとき、
自分を変えたいとき、
神様にも予想できないほど素早く「フェイント」をかけることだ。


たとえば、
一度もはいったことのない喫茶店にはいってみる。
絶対選ばない本を選んで買ってみる。
こんな時間にブログを書いてみる。

フェイントをかけることで、脳に刺激が伝わる。
視点が拡大し、結果が変わる。

ふだん、避けていたことは何だろう?
私には似合わないと思い込んできたものはどれだろう?
こんなこと言えないって飲み込んできた言葉はあったかな?

フェイントをかけるときは、考える暇を自分に与えないことだ。
フェイントは自分の壁をハンマーでぶち破る行為なのだから。
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by hiroQ111 | 2006-02-23 05:11 | 発想を爆発せよ
知人から本を送っていただいた。
書物を山ほど読んでいる方が、「目からウロコ」だったと真顔で言った。
何度読み返しても、胸がつまると言う。

本のタイトルは
『お金でなく、人のご縁ででっかく生きろ!2』

著者は中村文昭さん。
三重でクロフネというレストランを経営し、
心のこもったオリジナルなウェディングパーティを企画・運営してくれる。

著者は根っからの人なつっこい性格で、おせっかい。
どうしてこういう性格になったのかと考えたら、「母親」の影響だったと確信。

「ひとはひとのお陰で生きている。
私がひとのお世話をしておけば、めぐりめぐって
あんたらを助けてくれることもあるやろ」

人生の出発点にあるのは、親や身近な人間たちの物差しである。
物質的な豊かさでは乗り越えられないものが、人生にはある。

この本には、著書が出会った「すごい人物」たちが何人も登場してくるが
私が驚いたのは、
著書が出会ったひとりの「すごい人物」の、その父親だった。

「すごい人物」は、中学生卒業と同時に、父親から家出を命じられた。
戦後の話ではない。日本がバブルで浮かれていた頃の話だ。

父親は「乞食」として生きていけと息子に伝えた。

ひとの恵みを受けることで、ひとに感謝することを覚える、と父親は言う。
息子は、北海道を皮切りに、日本全国を4年という歳月をかけて行脚した。

その日を無事に生きる、そのこと以上に望みをもつとは
なんと欲深いヤツだ、というのが父親の物差しである。

息子はこの経験から、ひとに親切にしてもらうコツが
体のなかに染み付いたと言う。

親切をいただいて、感謝する。
親切をしたひとは、自分のなかの誇りと愛を感じられる。

ひとは、ひとの役に立つことで、自分の居場所を得るのだと思う。

以前、「ペイフォワード」という映画があったが、
まず自分からひとに親切をして、3人に親切をしたら、
その3人が次の3人に親切を受け渡す。

ネズミ算式に親切体験が増えて、世界はあっという間に幸せになりましたとさ。
と、うまくいくはずだったんだけど、
実際は、「あっという間」にはいかない。
人間の「欲」「自我」「プライド」はそうそう簡単には解けない問題で、
まっ、そこがないとドラマにはなんないわけで。

でも、希望はある。

映画ではない、実際に生きているひとたちが
すごい物差しをもって、その生き様を見せてくれている。
いま、現実に日帰りできるような距離に生きている。

今日、「ありがとう」って何回言えたかな。
優しくしてくださって、ありがとう。
鍛えてくださって、ありがとう。
みんなみんな、おおきにでした。
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by hiroQ111 | 2005-06-14 01:09 | 発想を爆発せよ
ご飯を食べないとチカラが出ない。
ダイエットや食事療法を義務づけられると辛い。
美味しいものを食べると途端にご機嫌になる。

そんなの当たり前のこんこんちきやん。
そう思っていた。ついこの前までは。

だが、知人から教えてもらった本のタイトルは「不食~人間は食べなくても生きられる」。
本はまだ読んでいないが、内容が非常に気になる。
想像だけがひとり歩きしている。

新潟に暮らす著者の実体験を綴った本らしい。
水も飲まずご飯も食べず、すでに数年が経過。
ただし、村の寄り合いが年に数回あり、飲んだり食べたりする機会が
まったくないわけではないという。
ひとりだけ「食べない」と言うと、村の住人としては、それはそれで問題であり
ストレスにもなりかねない。なので、出されたものを無理せず食べる。らしい。


食べなければ死ぬと思っているひとにとって、食べない行為は自殺行為に等しい。
ところが、食べなくても死なないと思っていると、食べなくてもわりに平気でいられる。

人間、8時間寝ないと体に悪いと信じているひとが、3時間しか寝ないとストレスになる。
ところが、3時間寝ればもう十分と感じているひとは、3時間寝て快適に暮らせる。

どう思うかが、体に影響している。
思った通りに、体が反応している。

私たちが常識だと思っていたことは、環境が変わると
非常識になる可能性が高い。

「不食」の著者は、食べることで得られるエネルギーを
別のエネルギーから得ていると仮定してみると、
例えて言えば、ガソリン車を電気車に変える、こんな感じだろうか。
別のエネルギーに転換するために、
エンジン部分も変化が必要となるように
著者も身体機能が変化、あるいは進化しているのかもしれない。
そうでなければ、理解できないんだけどなあ。

食べることを前提とする身体のままで、不食を実行すると
常識にしたがって、栄養失調や餓死を引き起こすのだろうか。

すべてが仮定でしかないなんて、なんか消化不良だ…。

ものは試しと、この2日間、お食事を少し制限してみた。
ストレスにならない程度に。
「食べなくっても大丈夫。大丈夫。そのうち細胞が目覚めるはず」てな気分で。

本日のメニューは、目覚めたときお茶1杯。
朝はトーストwithリンゴジャム1枚とコーヒー1杯。
お昼はご飯をお茶碗に3分の1ほど。
人参とこんにゃく、エリンギ、かぼちゃの煮物をそれぞれ2口程度。
おやつは喫茶店でカスタードシュークリームとロイヤルミルクティを。
夜はご飯軽めに1杯。マーボー豆腐軽く1杯。ゴボウサラダ。チョコ1個、お茶。

友人いわく、「結構食べてるやん」。

う~ん、私って、ホント無理しない性格なのよねえ。
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by hiroQ111 | 2005-01-25 00:44 | 発想を爆発せよ

経営の哲学

今日読んだ本のなかに、興味深い1節があった。

ある旅館の経営者が、最近宿泊客が激減したと嘆く。
町を訪れる観光客がピーク時の2分の1に減り、
旅館の宿泊客も2分の1に減った。
町を訪れる観光客を増やすべく、雑誌に広告を打ち、
観光キャンペーンをあちらこちらで催したが、
観光客がもとに戻る気配はなかった。

この悩みに、本の著者はこう切り返した。
「つまり、町の観光客が増えれば、あなたの旅館に宿泊客は増え、
町の観光客が減れば、あなたの旅館の宿泊客は減るのですね?」

旅館の宿泊客は、町の観光が目当てなだけであって、
旅館が目当てではないと言っているようなものだ。

旅館そのものがお客様から支持されなくては
いつまでたっても町の観光客動向に左右されるだけ。

お客様が「あそこの旅館は良かったわ」と言って
別のお客様を誘ってきてくださる、
あるいは、お客様が「また今年もあの旅館に行こうね」と行って
その家族を連れてきてくださる、
営業効率を高めるには、お客様が知らず知らずに
サポートしてくださること。それが、いちばん大きな営業力になる。

お客様は友人であり、恩人であると思えば、
おもてなしの気持ちもどれほど高まることだろう。
しかも、その友人や恩人たちは、
おもてなしに対して、対価を支払ってくれるのだ。
余計にありがたいではないか。

これはなにも旅館に限ったことではない。
すべての商品、サービス、タレントたちにもこの定義は当てはまる。

お客様を、あるいは、お友達を
どれだけ楽しませたか、感動させたか、喜ばれたかに尽きる。

その地域、その季節、その場でしか楽しめないこと
あなただからできる思いやりに満ちたサービスなど、
探せばいろいろあると思う。

数値目標だけで経営に弾みはつかないのだ。
すべては人間に始まり、人間に辿りつく。
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by hiroQ111 | 2004-12-12 01:38 | 発想を爆発せよ

モネと奈良

午後は、奈良にいた。
奈良県立美術館で開催されているモネの絵画展を観るためだ。

「光の賛歌」と副題をつけられている今回の絵画展。
収穫を終えた畑を照らす朝の光、陽だまり、夕暮れ、薄日の差す海岸…。

自然の色彩をかき消してしまうほどのまぶしい陽光を描いた作品もある。

初期の頃は、美術のお手本のような写実的な絵が多く見られたが、
印象派を代表すると言われる画家は、
30代から40代にかけて、その言葉通り、心でとらえた風景を
余計なものをすべて削ぎおとしながら描いているように思えた。

太陽が与えてくれる色彩と陰影によって、生命の存在感が強烈に心に迫ってくる。
幸福は幸福を、切なさは切なさを、祈りは祈りを、歓喜は歓喜を呼び起こすようだ。

30代から40代は、心に映る風景とキャンバスに描く風景とを限りなく一致させた
その工夫とアイデアと努力に満ちた時代だったのではないだろうかと思う。
睡蓮のシリーズは、その集大成。

光と陰、生と死、そうした表裏一体の世界観を
一番スマートに表現できるのが睡蓮の咲く池だったのかも。


美術館を出て、私は久しぶりに東大寺の脇を抜け、
春日大社を抱く、春日の森に踏み入った。
木々は欝蒼として、ところどころに木漏れ日が差す。

真っ赤に色づいたカエデ、青々とした葉を繁らせる若々しい針葉樹。
足元を装飾する黄色い葉や赤い葉、枯れて土色に戻る葉、葉…。

まっすぐに空を見上げると、
薄い雲がレースのように空に翳りを与え、
澄み渡る空の青さをより繊細に際立たせている。

光を強調させるためには、翳りが必要なのだ。

私はモネの目になって、風景をとらえ直してみる。
それは、心の風景と目に映る風景が限りなく一致して見えることである。

奈良は悠久の昔から続く歴史の都。
木漏れ日ひとつのなかにも、
栄華の絶頂と有象無象のドラマがとけあって、まどろんでいる。

モネさん、この次生まれてきたら、ぜひ奈良の風景を描いてみてね。
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by hiroQ111 | 2004-12-02 00:26 | 発想を爆発せよ

ニコニコのチカラ

岡本太郎の言葉はいつもユーモラス、だが、鋭利な刃物のように冴えている。

「イエス・キリスト、あのひとは本当にいいひとだと思うよ。だけど最後がいけない。
どれだけ血を流しても、体に杭を打たれても、ニッコリ笑っていなくちゃいけない。
僕はいつでもニッコリしているだろ?」

苦痛のなかで笑うって、ひとは気でも違ったかと思うかもしれない。
だけど、キリストくらい霊格の高いひとは、それができたのではないかと思うのだ。

もし、キリスト像が、ニコニコ笑っている像だったらどうだろう?

世界中にいるキリスト教徒の皆様も、教祖を習ってニコニコしているのではないだろうか。

ニコニコしながら、悪口は言いにくい。
ニコニコしながら、ケンカするのも難しい。

岡本太郎は、決意のひとだと思う。
どんなにキツイ状況でも、あえて火中の栗を拾いに飛びこんでいく。
楽な道と困難な道があれば、迷わず困難を選ぶと断言し実行した。
楽しいことを楽しむのは、誰でも自然にできることだ。
でも苦しいことを笑って受け入れるのは、かなり覚悟がいる。


これは実際にあった話だが
小学生の少年たちが古いタイヤを見つけて遊んでいたところ
ひとりの男の子がタイヤのなかにすっぽりハマってしまい、
押された拍子にぐるぐる回り走り始めてしまった。
何十メートルも走って、タイヤは倒れるのだが
倒れる寸前に男の子が手を外に出してしまい、タイヤに挟まれた格好になった。
タイヤから抜け出たとき、男の子の手はぶらんとしていた。
まわりの少年たちにもその異常は見てとれた。
だが、ひとりが「ごっつ~、根性!」と叫んだ。
すると次々に「うおおお~、すっげえ根性!」と、賞賛の声、声。

骨の折れた男の子は痛いと泣くよりも、
「根性」と賞賛された自分を選んだ。

泣かずに立ちあがり、かけよってきた教師に抱えられながら
彼は自分の「花道」を歩いたのだ。


人間は何を意識するか、
それだけで状況や人生が変わる。
もし、キリストが岡本太郎と出会っていたら、
十字架の上で、笑っていたのではないかな?
そしたら、世界の歴史は変わっていたかも。

武器弾薬にまみれた、今の地球ではなかったかもしれない。
キリストの影響は地球規模なのだ。

笑っているひと、争わない。
笑っているひと、恐くない。
笑っているひと、楽しそう。
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by hiroQ111 | 2004-11-15 22:50 | 発想を爆発せよ

水の中のひと。

金沢に新しくできた21世紀美術館は、開館当初から面白いと話題だった。私が訪ねた日、ちょうど入場者が10万人を突破した。あと30分到着が遅ければ、市長の握手とともに記念品を手渡されたのは、私たちだったかもしれないね、と笑いあった。多少、本気でもあったけど。館内は20を超える展示室をひとつひとつ回遊しながら観て歩く仕掛けなのだが、中庭に長さ10メートルほどの小さなプールがポツンと設置されている。人が泳ぐには小さいし、鯉か金魚か、あるいはワニでもいるのか?と思って覗きこむ。

ところが、底には人間がいた。一瞬、頭の思考回路が遮断される。水の底で人間が動き回っている。洋服をきて、笑ったりおしゃべりしたり、時々プールの外の人々に向って手をふったりしながら。夢中になって水の底を覗きこむ。水面は常にさざ波が起きるよう自動制御されているらしく、波に遮られ、水の底に沈む人々はゆらゆら揺れている。プールの水深はせいぜいが10センチ程度。底に透明なアクリル版が張られ、その下に空間ができている。仕掛けとしてはそれほど凝ったものではないが、この発想には脱帽。実にシンプル、で、すこぶるユニーク。洋服を着た「人魚」たちは、入れ替わり立ち代わり水底の部屋にやってくるので、ずっと観ていても見飽きることがない。

美しい水の星、地球。

仮に、文明の発達した宇宙生物が地球を眺めたとしたら、
こんな風に映るのかもしれないな。
ふとそんなことを思ってしまった。
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by hiroQ111 | 2004-11-10 12:54 | 発想を爆発せよ