理屈よりも体の感覚が好き。直感が大事。


by hiroQ111
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カテゴリ:何度観ても面白い!映画( 5 )

以前にも観た映画であるが、
何度観ても面白い。

ファイティング・ガールは実在したアメリカボクシング界の
女性プロモーター「ジャッキー・カレン」がモデル。

大手プロモーターに啖呵をきり、
その結果わずか1ドルでプロボクサーを買わされることに。

ボクサーの家を訪ねてみるとヤクの最中。
さっさと退散しようとしているところへ、
体格のいい若者がドアを蹴破り侵入。
ヤク中とはいえプロのボクサーを、
なんと数発でノックダウン!

ジャッキーはその若い黒人「ルーサー・ショー」に
目をつけ、プロのボクサーにならないかと声をかける。

ボクシング界は巨万のお金が動く。
ギャンブル、八百長の温床でもある。
言わずとしれた男の世界。
女はリングにすら上がれなかった。そんな時代に、
ジャッキーは女ひとりで宣戦布告したのだ。


大手プロモーター会社のオーナーは
ジャッキーたちが試合ができないよう
近隣の興行主たちに手をまわす。
自分たちの富を女なんかに奪われていいのか?
ジャッキー、目障りな女だ。
男に対して二度とへらず口が聞けないようにしてやる。


ジャッキーは様々な圧力と妨害を受けるが決してめげず、
逆に、たくましい精神力と、マスコミへのあの手この手のアプローチ作戦で、
ボクシング界のヒロインとして一躍脚光を浴びる。

ところが、
ジャッキーが目をつけ育ててきたボクサー「ルーサー・ショー」は
取材に講演にTV出演にと飛び回り
自分を忘れたかに見えるジャッキーに業を煮やし、
「あんたが活躍できているのは俺のお陰だろ!」と言い放つ。
ジャッキーは売り言葉に買い言葉で
「私が理解できるのは『契約書』に書かれている言葉だけよ。
私がいなければあなたは破滅よ」と言い捨てる。

完全に信頼関係の冷え切ったボクサーとマネージャー。

ここで男性のマネージャーなら、
感情よりもビジネスを優先させたかもしれない。
ところが、ジャッキーは母性の厚い女性。

しょせん、女の自分には
ボクシングという男性社会に太刀打ちできないかもしれない。
そうなればルーサーの才能をこれ以上伸ばすことが不可能になる。
ジャッキーは最大の敵であった大手プロモーターにルーサーを譲り渡すことを決意。

彼らはジャッキーに、今後一切リングのまわりをうろつくなと言い渡す。

こどもの頃から大好きだったボクシングを断ち切られたジャッキー。
でもそれは、チャンプの素質と才能を十分に備えたルーサーの未来を守るため。
母親がわが身を削ってこどもを守るような、そんな潔い行動である。

ところが、悪徳プロモーターは
金のため、男の名誉のためならどんな手段も惜しまない。
相手の将来?ハン!ボクサーなんて後から後からどんどんでてくるさ。
とにかく「ファイト」がある限り、金はついてくるんだから。

ジャッキーから離れ、
大手のプロモーターに身柄を引き取られたルーサーは彼らの商売のため、
3週間後にミドル級チャンピオンへの挑戦試合を組まれてしまう。

3週間では体の調整ができない、とあきらめるルーサー。

試合当日、相手のチャンピオンは、1ラウンドが始まるやいなや、
いきなりルーサーめがけて怒涛のごとく連打。
相手の波にすっかり飲まれてまともに身動きすらできない。

しかも、チャンピオンはルーサーの股間にするどいパンチを1発見舞った。
レフリーから注意を受けるも、次にはリングのロープに体ごと押し付け、
ロープから外に出ている頭を殴打。

またもやレフリーから反則をとがめられるが、退場はない。

ジャッキーは、カーラジオで放送を聴きながら
ルーサーが受けている痛みが自分にも伝わってくるのを感じていた。

いてもたってもいられないジャッキー。
ルーサーを手放さなければ良かった。
ルーサーの才能がこんな形で抹殺されようとしている。

正当な方法で、チャンスを与えられないなんて。
その気持ちは、まさにジャッキーが幼い頃から味わってきたものだった。
女性であるために、リングに上がることすら許されず、
いつも女に何ができるとバカにされ、どんな努力をしても
すべて上司が手柄を横取りする世界。

ジャッキーは車を降り、会場へ走りだす。
かつて知ったるアリーナ。場内へ入るなんて朝飯前。

ルーサーはみじめに打ちのめされ、
ロープを支えにしてようやく立ち上がる有様。

ジャッキーは思わずリングへ向かって走り出す。

3ラウンド終了。

そこに、リングにひらりと上がるジャッキーの姿が。
コーナーに腰掛けているルーサーに近寄り、
ルーサーの弱りきった瞳をじっと見つめた。

「お願い、1分だけ時間を頂戴。
ルーサー、ごめんなさい。私が悪かった。私を許して。

でも、リングに上がった以上、あなたは闘わなくちゃいけない。
どうして相手が反則すると思う?あなたに勝つ自信がないからよ。

あなたは、この試合に勝って、歴史を塗り替えるのよ。
あなたならできる。あなたには才能がある。私なんて必要ないのよ。
あなたは自分の力で十分にチャンプになれる。

さ、行って。ヤツをたたきのめしてきて。」

ジャッキーはルーサーの背後にまわってそっとつぶやく。
「相手が踏み込んできたら、スタンスを変えて右を狙って。
自分のビジネスをするのよ」。

ルーサーの意識が変わる。
反則してでも勝とうとしたチャンプの姿が小さく見える。
ルーサーのパンチが戻った。

チャンプは余裕を失い
ルーサーの手のうちに入ってきた。
いまだ。ルーサーが足のスタンスを変える。

歴史を変えるんだ。

ルーサーの鋭いパンチを受け、チャンプの体が右に左に揺れる。
そして、ついにロープをつかみながら、膝をくずし、マットに倒れこむ。

会場を埋め尽くした聴衆から一斉に歓喜の声が響きわたる。

ジャッキーはその様子をうれしそうに眺めながら
そっと会場から出て行く。


私は、このシーンが好きだ。
DVDのメニューを選んで、もう一度余韻に浸る。

映画的といえば、映画的なシーンだ。
ふらふらになるまで叩きのめされた人間が
たったひとことで意識が変わって
するどいパンチが繰り出せるほど、足腰の力が
瞬時に甦ったりするか?

するのだ!!!!!

意識は、60兆の細胞を目覚めさせるのだ。
ボクサーのように集中力を鍛錬した人間ならなおさらだ。
できない人間は、本気になる度合いが薄いのだ。
思考をシャットダウンできるほど集中できていないのだ。

自分の細胞を疑い、自分の才能を疑い、
自分の気持ちすら疑っていては、
なにひとつ超えられないのだ。

気持ちがすべてを決定するのだ。

できると思えば、できる。

気持ち次第なのだ。
気持ちが細胞を支配している。

ルーサーはジャッキーの言葉によって
チャンピオンとして輝いている自分を思い描いたはずだ。
ルーサーとジャッキーは本当は心の底から
信頼しあっているパートナーだったから。

あ~、仕事なんてそっちのけで、
また観たくなっちゃった。
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by hiroQ111 | 2006-02-16 17:07 | 何度観ても面白い!映画
アメリカって国は、イメージが大事。
猛スピードで交差点につっこんできた医者の車に追突されて
大怪我を負ったエリン・ブロコビッチ。
どこから見ても完ぺきな被害者であるはずなのに、
弁護士までついていながら、なぜか裁判で負けてしまい
1セントも慰謝料がとれなかった。

小さな子供を3人も抱え、
夫と別れ、ひとりで子育てしている善良で美しいお母さん。
裁判で負ける理由など何ひとつなさそうなのに、負けた。

弁護士は言う。
「敗因は、君の言葉使いだよ」。

猛スピードで交差点に突っ込んできたのは医者のほう。
裁かれるべきは医者のほう。
なのに、なぜ?

医者のように社会性があって知的な人間が
スピード違反などするわけがないという、教養コンプレックスが
実は、アメリカの泣き所である。

これにひきかえ、
エリンのような無教養で粗野な人間はお金欲しさに何だってする性悪女、
という、コンプレックス社会が作り出した幻影に、
エリンは完全に敗北したのだ。

治療費に入院代に弁護士費用に車の修理代。
おまけに働いていなかった月日の生活費。
すべてが借金としてエリンにのしかかる。

彼女には乳のみ子を含めて10歳にも満たないこどもが3人もいるのだ。

彼女は泣き言を言う前に、
働き口を求めてあらゆる手段に打って出る。
最後は押しかけアルバイター。
自分を敗北に追いやった無能な弁護士に自分の面倒を見るよう強く迫る。

「押しかけ女房」という言葉があるくらいだから、
相手の迷惑よりも、まず自分がどうしたいかを敢然と主張する人種は
どこにだっているのかもしれない。

ただ、言った以上は責任を取る。しかも、中途半端はしない。

公害訴訟の原告団、つまり社会的弱者の気持ちに寄り添い
弱者の共感と、信頼を得ていく。

もし仮にエリンが弁護士資格を手にするエリート層だったら
原告団のひとりひとりの気持ちを開かせ、
信頼という絆を結べただろうか?

理不尽な経験をこれでもかというほど味わってきたエリンだからこそ
長年に渡って企業利益の前に踏みつけにされてきた公害被害者の気持ちに
寄り添うことができるのだ。

故松下幸之助氏の生前の言葉にもあるが
「私は無学だったから、ひとの話をよく聞いた」。

エリンの言葉は、ときにはこどもには聞かせたくないような
下品な言葉使いだったかもしれないが、
エリンは被害者の話を熱心に聴き続けた。
600名を越える被害者の名前はもとより、電話番号もソラで言えるほどに。
そして、エリンの話によく耳を傾けた弁護士は、やがて、
史上最高額の和解金を勝ち取るに至るのだ。

良い医者、良い経営者は、ひとの話をよく聞く。
他人の言葉によく耳を傾けるひとこそ、
幸いである。

あ~、耳が痛い。
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by hiroQ111 | 2006-02-03 01:02 | 何度観ても面白い!映画
今日は月に一度の映画会の日。本日のお題は「カレンダーガールズ」。
イギリス、ヨークシャー地方ののどかな田舎町が舞台。
ここに暮らすごく普通の主婦たちが、最愛の夫をガンで亡くした仲間のために、
ガン撲滅の寄付金集めを企画した。

では、どうやってお金を集めたか。

手作りのケーキを焼いて?
美しいお花を育てて?
伝統のキルトを作って?

答えは自分たちのヌードカレンダーを売って。

地元の婦人会に参加する主婦の有志たちが集まった。
年齢は、50歳60歳てな感じだろうか。
子供を産み、育て、家事労働を何十年とこなしてきた女性のヌード。
これは、実話に基づいた映画なので、余計に凄みを覚える。

このヌードカレンダー、話題性はバツグンで
記者発表にはイギリス中のマスコミが駆けつけた。
連日連夜、取材はくるわ、お手紙は届くわ、
激励もあれば、批判記事もあって、てんやわんやが続く。
そのうち、アメリカのTV番組への出演依頼やCM出演のオファーまで。

当然、舞いあがる。家庭もぎくしゃくする。
でも、熟年になって、夫に裸を見られることもなくなってしまった彼女たちが
ヌードになる決心をし、実行した。
決心までなら難しくはない。が、決心と実行の間には、天と地ほどの隔たりがある。

実行に移す際、いくつかの条件をつけた。
写真はあくまでもアート的に。
すべてをさらけだすような「裸(ネイキッド)」ではなく、「ヌード」であること。
ヌードには自然のままという意味合いが強い。

「ヴィーナスも人前に裸をさらけ出しているじゃない。私たちと何の違いがあるというの?」
「いいえ、部品はみな同じよ。違うとすれば、そうサイズ。すべてのサイズが違うのよ」
ふむ、納得。

ヌードになる決心をしてから、彼女たちの自分磨きがはじまる。
ジムに通い、トマトとセロリのディナーに耐え、日焼けサロンに通い
レディーたちは健気にがんばる。

出来あがったヌード写真には、
お花に水やりしたり、ケーキを焼いたり、ピアノを弾いたり、
ごくありふれた日常的な風景がつとめて明るく表現されている。
ただ、違っているのは服も下着も身につけていないということだけ。
ある一点をのぞいては。それが真珠のアクセサリー。

さすが、イギリスだなあと思ったのは、
たとえ裸になろうとも、真珠のジュエリーをきちんと身につけているところ。

イギリスは社交の国だ。
女性はレディーとしての、男性はジェントルマンとしてのマナーを守ることが
ほとんど国民的義務であるように思える。

真珠を身につけることによって
英国レディーとしての最低限の一線を守っているのではなかろうか。

田舎でも都市でも、彼らは社交に生き、社交に誓う、そんな民族なんだろう。

ちなみに、伊勢志摩産の真珠はその多くがヨーロッパに輸出されている。
巻きが均一で美しいと、日本の真珠はとても好まれているらしい。

事実として、このカレンダーは米国デビューも果たし、
売上げは1億円を超えた。そのお金で、
ヨークシャーの片田舎にある病院には、
白血病治療のための設備と、
治療を受ける患者とその家族が心地良く腰掛けられるソファが贈られた。

人間は、既成概念や常識にとらわれて行動を規制する必要はないが、
守るべき一線がある、というのはなんとも美しく、気品を感じる。
その象徴が真珠のネックレスとイヤリングであるっていうところが、
オシャレなのである。

私は、自分のどんな殻を脱ぎ捨て、どんな宝石を身につけるのだろうか。
ヤマト国レディーとして???
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by hiroQ111 | 2005-01-21 01:20 | 何度観ても面白い!映画
今日は、月に一度の映画会の日。
いつもいい映画を選んでくださるので、楽しみにして出かけた。

ハンカチはスタンバイOKだ。さあ、どっからでもかかってこい。
と思っていたが、主人公の父親は見事に明るいキャラクターだし、
ちょっとばかし出っ歯だけど、いつもニコニコしている。

この映画に悲壮感はない。
どっかで観た映画と似ているなあと思ったら
「ライフ・イズ・ビューティフル」のあの父のようでもある。
人生とは、どんなことが起ろうと、楽しみを見つけて生きることができる。


父と息子は、北の田舎町で暮らしていたが、
息子のヴァイオリン・コンクールへの出場を機に全財産を携え北京へ。
コンクールでの優勝は逃したが、チュンの才能を確信した父。
良い先生に就くことができれば息子は必ず成功できると信じ、
父は懸命に働き続ける。

そんなある日、父は、仕事の流れで、大劇場に入りこみ、
無断でオーケストラのコンサートを聴いてしまう。
ソロのヴァイオリニストに注がれる観客からの惜しみない拍手。拍手。拍手。
舞台の上では、彼の恩師が観客の前に披露される。

それを見ていた父は、息子を一流のヴァイオリニストとして成功させるには
一流の世界に生きている、この先生しかいない!と思い、
息子の指導を願うべく、自宅を訪ね、息子がいかに天才児であるかを語り始める。

息子の才能のために、自分の人生のすべてを懸ける父。


国際コンコールへの出場をかけた予選会の日。
チュンは故郷へ帰る父を追いかけ、北京駅へ。

国際コンクールの予選に出るために、今日まで練習し続けてきた
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を奏でる。
ただ、父のためだけに。

一方、チュンが出場するはずだった国際コンクール予選会場では、
ライバルのリンが出場している。

チュンが現われるまで、自分が一番うまいと思っていたリンだったが
いつも「君の演奏には心が無い」と先生から指摘されていた。
ところが、コンクールへの出場権がチュンに奪われたことで
リンは自分が音楽をいかに愛しているかに気づくことができたのだ。

リンの演奏に心の温もりが灯る。

ふたりのヴァイオリンは、場所を超えて競演するかのように響きあう。
ひとりは音楽人たちの、ひとりは駅に集う名もない民衆たちの心を魅了して
この映画は幕を閉じる。

名声とか地位とか、音楽の神の前では意味がないと言うように。

そういえば、歌うように音色を奏でる「フジコ・へミング」も。
~私の音楽を聴いてくれる人がわずかでもいれば、幸せ。
 たとえ、王様の前だろうと、貧しいひとたちの前だろうと、私は自分の音を奏でる~

音楽も映画も、もとを辿れば、ここに行き着くような気がする。
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by hiroQ111 | 2004-12-16 23:26 | 何度観ても面白い!映画

トゥワンダが来るわよ!

映画「グリーンフライドトマト」の中にでてくるセリフだ。
「トゥワンダが来るわよ」。

「トゥワンダ」は、
南北戦争後を背景にした映画のなかで、
アメリカ南部の黒人たちが使っていた
「こんにちは」っていう挨拶言葉。

白人の女の子イジーが、大好きな兄の死後、家族との生活を捨て、
白人であることも、牧師の娘であることも、女性であることも捨て、
ただひたすら、ひとりの人間として、自分の心のままに生きる。
彼女のお気に入りの挨拶が、こちら。「トゥワンダ」。

その当時、黒人迫害はエスカレート。
白いシーツをかぶった白人の秘密集団が、
夜毎、黒人や黒人と親しい白人たちを見せしめのために襲撃していた。
彼らも昼間は敬虔なクリスチャンだったりするわけで
汝の隣人を愛せよとつぶやいていたりするのだろうに…。

イジーは叫ぶ。
「大人は祈るだけで結局何もしないじゃない」。

イジーは、貨物列車に忍びこみ、物をくすねては、
貧しいひとたちに投げ与えた。
悪いこともしたが、自分の命をかけて、たくさんのひと助けもした。


一方、時代は変わって、現代のアメリカ南部。
キャシー・ベイツ扮する南部女性エブリンが
自分を飯炊き女としてしか見なくなった夫エドとの関係に悩み
女性としての生き方を模索。
ふとしたことでリリーという老婆に出会うが、
彼女の昔話に登場するイジーにすっかり影響され、
ついに夫との関係を築き直すために立ちあがる。

いつまでたっても相変わらずの夫エド。
エブリンはそんな彼に吐き捨てるようにこう告げる。
「いつまでもわかんないこと言ってると、トゥワンダが来るわよ!」

悪いことをした子供に母親が言うセリフだよ、これ。
「悪い子にしてると、ナマハゲが来るぞ!」
なんてのと、同じだ。

エブリンは「トゥワンダ!」と叫びながら、
順番を守らなかった女性の車に追突!
夫との壁を壊すべく、家の壁を撃破。
「トゥワンダ」と叫べば、自分は何でもできそうな気がした。

神様は魔法使いじゃない。
解決できるのは、自分だけ。

方法は2つある。
夢や希望をもたず、なんら執着せずに生きるか、
生きるために不安や恐怖に打ち克ち、全力前進するか。
どちらか。

祈るだけでは、生きられない。
自分の足で立ちあがらないと、救いはない。
いつかイジーが自分の前に現われるのを待つのではなく
自分がイジーになればいいのだ。

映画会からの帰り道、
私も「トゥワンダ!」と叫んでいた。もちろん、心のなかで。
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by hiroQ111 | 2004-11-17 10:39 | 何度観ても面白い!映画