「ほっ」と。キャンペーン

理屈よりも体の感覚が好き。直感が大事。


by hiroQ111
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<   2004年 11月 ( 8 )   > この月の画像一覧

今朝届いたメールマガジンの内容は、ちょっとショッキングなものだった。

東京都足立区内の公立中学で、反米教育が行われているというのだ。
しかも、反論はいっさい認めず、
反論した生徒にはさらに厳しい攻撃的文面が届くという、
まさに、ひとり教師による恐怖政治ならぬ恐怖教育が行われているらしい。

そのため、アメリカと日本のハーフとして生まれ、この中学校に通う生徒が
教師の軋轢と偏見の眼差しに耐えきれず、とうとう登校拒否となり、
精神科に通院するまでに追いこまれてしまったと記事にはある。

この恐怖教育を行う教師には、
懲戒免職処分が言い渡されたが、これを不服として提訴。
教師を支持する嘆願書には、教師仲間1400人以上が名前を連ねた。

恐い。
次代を担う人間の教育現場が荒れている。
事実を知らせることはいい。歴史的な事実を認識し、
現在をどう生きればよいかを考える、その材料にすればいいと思う。
自分の考えを絶対なものとして、他人に押し付けるとは言語道断。
この世に「絶対」などない。

すべては、水のごとく流れ、気化し、集まり雲となり、雨を降らし
川に注がれ、また海へ戻る。決して留まることがない。
止まれば水は腐る。

「絶対」という言葉を使った瞬間から、それは腐敗への道をたどるのだ。
人間しかり、家族しかり、教育しかり、企業しかり、経済しかり。

教育とは、事実の見方を教え、進むべき道を模索するとともに
進まない道は何かを決意することだと考える。
かつ、他人と協働しながら創造的人生を送る、その練習の場だと思うのだ。

何をしないかを決意するのは、簡単なようで結構骨がおれるものだ。
私などは、怒るのを止めると決意しても、
世の中、自分は絶対正しいと思っている件の教師をはじめ
口には出さずとも自分さえよけえばいいと思っているひとはまだまだ多い。
つい、イライラしてしまうことを、どうしても止められないでいる。
深呼吸してもまだまだイライラしていることもある。
とうとう、無関係な友人に「ちょっと聞いて~」とやってしまう。


敬愛する岡本太郎は決意している。
『楽な道と苦難の道があれば、僕は迷わず苦難の道をいく』と。

楽な道は誰が進んでもうまくいくだろう。
だから、岡本太郎はあえて険しい道を選ぶのだ。

ちょっとマネできないことだと思うが、
こういう人間もいるのだと思うと、小さなことでグチグチ言うのは止めようと
思えるし、イザというとき、背中を後押しもしてくれる。

ひとを批判するのは簡単なことだ。
同時に、自分を反省できるか、と問われると難しいが
私はすべきことだと思う。

自分は家族や友人たちに自分の意見を押しつけてはいないか。
絶対正しいなどと言ったりしていないか。
異なる意見について、冷静に俯瞰的に見ているか。

事件や事実は、自分を振り返らせてくれる良い教科書になる。
何をし、何をしないか、今日も決意し続けるのだ。



↓届いたメルマガはこちら。↓
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『国際派日本人養成講座』
第372号「密室の中の独裁者」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogindex.htm
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↓記事のご参考文献はこちら。↓
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アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 古賀俊昭他「こんな偏向教師を許せるか」★★★、展転社、H12
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/
4886561853/japanontheg01-22%22

2. 「『足立16中 人権侵害事件』の真実を語るホームページ」
http://www5b.biglobe.ne.jp/~nomaki/adachi_index.htm
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by hiroQ111 | 2004-11-28 12:06 | 吠える
電光掲示板には『ただいま17人待ちです』と表示されていた。
順番待ちのレシートをビリビリッと破って、席をキョロキョロと見渡すが、
4席すべて完売。

週末の郵便局は、混む。これ、常識。
わかっちゃいるけど、ちょっと切ない。
まあ、予定があるわけではないので、平気。どうぞ、どうぞ、待ってるよ~。

待ちイスは4席。カップルとおばさん2人が腰掛けていた。
そのうちカップルが立ちあがり、私はタイミングよく腰掛ける。ラッキー!
ただ、ほとんどのひとが立って待っているのである。
気の小さい私は、なんとなく居心地がすっきりしない。

そこへ、杖をついたおばあさんが入ってきた。
杖をついているのだ。優先権は彼女にある。
私はごく自然に立ち上がり、席を空けた。
すると、おばあさんは大きな声で
「いいのよ、お姉ちゃん、座ってなさい」と心から遠慮されておられる様子だが、
私とて、杖をついているひとをさしおいて、座っていられるほど神経は太くない。
おばあさんも、親切は素直に受けなさいとご子息から教え込まれているのか、
すんなりと腰掛けてくださった。ホッ。

私は、なるべく目立たないように混雑のなかに紛れて立っていた。
どうせ順番はなかなかこないのだから、人間観察でもしておこうと
あたりをキョロキョロ眺めていた。そんなに時間が経ったとは思えないのだが
先ほどのおばあさんが「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と私を呼ぶ。
自分は帰るから、先ほどの席に座りなさいというのだ。

彼女は、バスの待合室として郵便局を利用していたらしい。
バスが来る時間だから、帰るという。

私も親切は素直に受けるタチだ。

おばあさんに手をひかれるまま、先ほどのイスに腰掛けた。
おばあさんは「ありがとう、ありがとう」と言い続けながら、郵便局をあとにした。

さあ、そこからですがな。
不思議なのは。

おばあさんが郵便局を出ていってから、
職員さんが受付番号を電光掲示板に表示する。
呼び出すが、いない。

「447番の方、おられませんか?では次の方」
「448番の方、おられますか?448番の方?」
買い物にでも行ってるのかな。

「449番の方、449番の方?おられませんか?」
まあ、ずっと待たされたんだから、帰っても仕方ないよね。

「450番の方、あれ?450番の方?」
週末なんだから、みんな忙しいよね。

「451番の方、451番の方?」
えっ、ウソ!ホントにみんな帰ったの?集団で?

私の受付番号452番が掲示された。
キツネにつままれた気分で、窓口へ。
窓口のひともホッと安堵したのか、苦笑い。

おばあさんが郵便局をあとにしてから、なんと5人をゴボウ抜き。

偶然で片付けられる確率って、いったいいくつだ?

では、偶然ではないとしたら?

おばあさんを守っている目に見えない力が、
私に贈り物をしてくださったのではないかなあ…などと
奇異だろうがなんだろが納得できる答えを探した。

それに、なんだか傘地蔵の話に似ている。
傘をかぶせてあげたお地蔵さんが、夜中にこっそり俵を届けにくるお話。
とすると、おばあさんは、さしずめイス地蔵だ。
イスを譲ったお礼に、こっそり受付5人分の贈り物。な~んて。

なにはともあれ、つかの間の夢をどうもありがとう。
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by hiroQ111 | 2004-11-27 01:13 | 吠える
ジブリ作品を観たあとは、
直感力が冴えてくる。そんな気がする。
ピンときたことを信じ、
信じた通りに行動すれば大丈夫なのだと確信させてくれる。

ジブリ作品のキメテは、いつも女の子だ。
女の子の表現はナウシカから一貫していて
繊細で心やさしく、かつエレガント。
しかも、愛するものを守り抜く信念と行動のひとでもある。

そして、もうひとつの共通項。
それが、動物的というか神秘的というか、女性特有の直感力である。
「ハウル」に登場するソフィーという女の子も、
ピンチになるほどその力を如何なく発揮。
見せかけや地位に惑わされることなく
ピンとくる直感で魔女の企みを見破るのだ。

そのソフィーの声を演じるのが、倍賞千恵子さん。
かわいかったなあ、倍賞さんの声。
彼女の声は繊細でエレガント。
でも、毅然とした、意思の強さも備えた声。
ジブリ映画にぴったりだ。

それに対して木村拓哉さんのハウルの声は
カツゼツもはっきりとして
ドラマに出てくる木村さんの
あのボソボソっとしたつぶやき声とは大違い。

美女を守る騎士のような誠実な声だった。

命をかけて大切なものを守る男ハウル。
この設定にたいていの女性はグラッとくるはず。

ただ、「もののけ」や「魔女の宅配便」のような背景に対する緻密さがなく
「ナウシカ」や「ラピュタ」のようなストーリー展開の丁寧さが見られない。
ちょっとイージーな感じがしないでもないが
魅力的な声優陣に、すっかり惚れてしまった。

ところで、「ハウル」は善悪の境が曖昧に設計されており、
善にも悪にも強みと弱みが同居している。
ソフィーの強い愛情によって、善悪の境はますます透明度を増し
やがては呪いの魔法さえも癒していく。
一番やっかいなのは、善人にも悪人にもいる「権威」を守るひとたち。
権威に執着しすぎて、人間も魔女も我を忘れてしまう。

なんにせよ
ジブリを観たあとの女性は、パワーアップする。
自分の直感を信じる力がぐんぐん強くなるようだ。
どんな困難に出会っても決してあきらめず闘い続けるのだ!
と、決意して、劇場をあとにする。

だから、ますます女性たちは強くなり、輝きを増す。

「おっさん」たちも、プライドとか地位とか、そんな小さなものは捨てちゃって
女性のように素直に「好きなものは好き!」と言い、
行動することができたら、救われるのにね。
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by hiroQ111 | 2004-11-25 02:05 | 吠える

トゥワンダが来るわよ!

映画「グリーンフライドトマト」の中にでてくるセリフだ。
「トゥワンダが来るわよ」。

「トゥワンダ」は、
南北戦争後を背景にした映画のなかで、
アメリカ南部の黒人たちが使っていた
「こんにちは」っていう挨拶言葉。

白人の女の子イジーが、大好きな兄の死後、家族との生活を捨て、
白人であることも、牧師の娘であることも、女性であることも捨て、
ただひたすら、ひとりの人間として、自分の心のままに生きる。
彼女のお気に入りの挨拶が、こちら。「トゥワンダ」。

その当時、黒人迫害はエスカレート。
白いシーツをかぶった白人の秘密集団が、
夜毎、黒人や黒人と親しい白人たちを見せしめのために襲撃していた。
彼らも昼間は敬虔なクリスチャンだったりするわけで
汝の隣人を愛せよとつぶやいていたりするのだろうに…。

イジーは叫ぶ。
「大人は祈るだけで結局何もしないじゃない」。

イジーは、貨物列車に忍びこみ、物をくすねては、
貧しいひとたちに投げ与えた。
悪いこともしたが、自分の命をかけて、たくさんのひと助けもした。


一方、時代は変わって、現代のアメリカ南部。
キャシー・ベイツ扮する南部女性エブリンが
自分を飯炊き女としてしか見なくなった夫エドとの関係に悩み
女性としての生き方を模索。
ふとしたことでリリーという老婆に出会うが、
彼女の昔話に登場するイジーにすっかり影響され、
ついに夫との関係を築き直すために立ちあがる。

いつまでたっても相変わらずの夫エド。
エブリンはそんな彼に吐き捨てるようにこう告げる。
「いつまでもわかんないこと言ってると、トゥワンダが来るわよ!」

悪いことをした子供に母親が言うセリフだよ、これ。
「悪い子にしてると、ナマハゲが来るぞ!」
なんてのと、同じだ。

エブリンは「トゥワンダ!」と叫びながら、
順番を守らなかった女性の車に追突!
夫との壁を壊すべく、家の壁を撃破。
「トゥワンダ」と叫べば、自分は何でもできそうな気がした。

神様は魔法使いじゃない。
解決できるのは、自分だけ。

方法は2つある。
夢や希望をもたず、なんら執着せずに生きるか、
生きるために不安や恐怖に打ち克ち、全力前進するか。
どちらか。

祈るだけでは、生きられない。
自分の足で立ちあがらないと、救いはない。
いつかイジーが自分の前に現われるのを待つのではなく
自分がイジーになればいいのだ。

映画会からの帰り道、
私も「トゥワンダ!」と叫んでいた。もちろん、心のなかで。
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by hiroQ111 | 2004-11-17 10:39 | 何度観ても面白い!映画

ニコニコのチカラ

岡本太郎の言葉はいつもユーモラス、だが、鋭利な刃物のように冴えている。

「イエス・キリスト、あのひとは本当にいいひとだと思うよ。だけど最後がいけない。
どれだけ血を流しても、体に杭を打たれても、ニッコリ笑っていなくちゃいけない。
僕はいつでもニッコリしているだろ?」

苦痛のなかで笑うって、ひとは気でも違ったかと思うかもしれない。
だけど、キリストくらい霊格の高いひとは、それができたのではないかと思うのだ。

もし、キリスト像が、ニコニコ笑っている像だったらどうだろう?

世界中にいるキリスト教徒の皆様も、教祖を習ってニコニコしているのではないだろうか。

ニコニコしながら、悪口は言いにくい。
ニコニコしながら、ケンカするのも難しい。

岡本太郎は、決意のひとだと思う。
どんなにキツイ状況でも、あえて火中の栗を拾いに飛びこんでいく。
楽な道と困難な道があれば、迷わず困難を選ぶと断言し実行した。
楽しいことを楽しむのは、誰でも自然にできることだ。
でも苦しいことを笑って受け入れるのは、かなり覚悟がいる。


これは実際にあった話だが
小学生の少年たちが古いタイヤを見つけて遊んでいたところ
ひとりの男の子がタイヤのなかにすっぽりハマってしまい、
押された拍子にぐるぐる回り走り始めてしまった。
何十メートルも走って、タイヤは倒れるのだが
倒れる寸前に男の子が手を外に出してしまい、タイヤに挟まれた格好になった。
タイヤから抜け出たとき、男の子の手はぶらんとしていた。
まわりの少年たちにもその異常は見てとれた。
だが、ひとりが「ごっつ~、根性!」と叫んだ。
すると次々に「うおおお~、すっげえ根性!」と、賞賛の声、声。

骨の折れた男の子は痛いと泣くよりも、
「根性」と賞賛された自分を選んだ。

泣かずに立ちあがり、かけよってきた教師に抱えられながら
彼は自分の「花道」を歩いたのだ。


人間は何を意識するか、
それだけで状況や人生が変わる。
もし、キリストが岡本太郎と出会っていたら、
十字架の上で、笑っていたのではないかな?
そしたら、世界の歴史は変わっていたかも。

武器弾薬にまみれた、今の地球ではなかったかもしれない。
キリストの影響は地球規模なのだ。

笑っているひと、争わない。
笑っているひと、恐くない。
笑っているひと、楽しそう。
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by hiroQ111 | 2004-11-15 22:50 | 発想を爆発せよ

コーヒーに吠える!

コーヒー豆は手を加えなければ緑色をしている。
そのままで1年間ほど保存できると言う。
ところが、焙煎したコーヒーは
1ヶ月も経てば、すっかり酸化がすすんでしまい
体のことを考えるなら飲まずにおいたほうがいい。
それぐらい危険なことらしい。

普通、お米は放っておいても大丈夫だが、
炊いたご飯を放っておくと腐る。
見た目でも十分にそれとわかるが、
コーヒーの酸化は、なかなか見分けられない。
残念だけど、鮮度の高いコーヒー豆の匂いを知らないひとは、
匂ってもわからないということになるね…。

恐ろしいことに、体はわかる。
ある喫茶店のコーヒーは、2、3杯飲んでも胃が疲れない。
が、駅構内にあるパン屋さんのコーヒーは、1杯も飲めない。
2クチ、3クチ飲むと、なんだか体がぐったり疲れてしまう。
通い始めた何度かは、自分が疲れているからだと
勝手に思っていたが、そのうち鈍感な私も
コーヒーがマズイからだと気づいた。

焙りたてのコーヒー豆を自宅まで配達してくれる
コーヒー屋のママさんは、
海外生活が長く、各地でコーヒーを楽しんできたひとだが
日本で飲むコーヒーが一番マズイと言う。

お肉を食べたあとに濃い目のコーヒーを飲むのは
体の酸化をコーヒーのアルカリ性で中和させようとする
体の欲求でもある。
が、コーヒーがすでに酸化している日本のコーヒーでは
ますます体が酸化して、疲れがたまってしまう。

生豆は1年、焙煎後は豆の状態で約7日、
粉にすると約3日で酸化し、味が落ちる。

コーヒーは生鮮食品で、
血液の浄化を促すリン酸カリウムを多く含み
良質のカフェインはストレス予防にも効果的なのだと
そのママさんは吠えていた。

新鮮なコーヒーは活性酸素と闘う。
だけど、酸化したコーヒーは活性酸素を助けて増やす。

体はちゃんと感じているのに
人間の頭は、体の悲鳴に気づかない。

そうそう、ひとつ言い忘れていたけど
ハワイのコナコーヒーの賞味期限は1ヶ月。
日本で売られているコナコーヒーの賞味期限は1年。

同じ商品なのにね。
ハワイのひとには通用しないのだ。
でも、日本だと?
「ま、いいか。どうせわかんないしね」
そんな声が聞こえてきそう。
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by hiroQ111 | 2004-11-14 11:26 | 吠える

水の中のひと。

金沢に新しくできた21世紀美術館は、開館当初から面白いと話題だった。私が訪ねた日、ちょうど入場者が10万人を突破した。あと30分到着が遅ければ、市長の握手とともに記念品を手渡されたのは、私たちだったかもしれないね、と笑いあった。多少、本気でもあったけど。館内は20を超える展示室をひとつひとつ回遊しながら観て歩く仕掛けなのだが、中庭に長さ10メートルほどの小さなプールがポツンと設置されている。人が泳ぐには小さいし、鯉か金魚か、あるいはワニでもいるのか?と思って覗きこむ。

ところが、底には人間がいた。一瞬、頭の思考回路が遮断される。水の底で人間が動き回っている。洋服をきて、笑ったりおしゃべりしたり、時々プールの外の人々に向って手をふったりしながら。夢中になって水の底を覗きこむ。水面は常にさざ波が起きるよう自動制御されているらしく、波に遮られ、水の底に沈む人々はゆらゆら揺れている。プールの水深はせいぜいが10センチ程度。底に透明なアクリル版が張られ、その下に空間ができている。仕掛けとしてはそれほど凝ったものではないが、この発想には脱帽。実にシンプル、で、すこぶるユニーク。洋服を着た「人魚」たちは、入れ替わり立ち代わり水底の部屋にやってくるので、ずっと観ていても見飽きることがない。

美しい水の星、地球。

仮に、文明の発達した宇宙生物が地球を眺めたとしたら、
こんな風に映るのかもしれないな。
ふとそんなことを思ってしまった。
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by hiroQ111 | 2004-11-10 12:54 | 発想を爆発せよ
記憶にはないが、赤ん坊の頃、ハイハイしながらわが家を飛び出し
隣の家まで細い路地を抜けて出かけていたそうだ。その距離、およそ30メートル。
幼稚園の頃は、近所の子供を誘い、
近くの海や山へ探検ごっこに出かけていた。
中学生になると電車道を帰り道とは逆方向にどこまでも歩いた。
知らない町を探検する気分だった。

大学生の頃は、朝起きるとすぐに電車にのり、知らない街へ行き、
日が暮れるまで歩き回った。
働きはじめたときは、日曜日ごとにお気に入りの道を歩いていた。道が好きだった。
道はどこまでも続いていて、道の傍らには私の知らない暮らしが脈々と営まれ、
風景を折々に移し変えながらも、つねに温かいものとして存在していた。

そのうち、社会人となり、仕事が忙しくなり、
何が好きか、どうしたいのか、気づく余裕さえなかった。
人と争うようになり、人間が恐ろしくなり、恐ろしさに負けないよう逆にかみついたりした。
そんな生活を7年ほど繰り返したとき、私は壊れた。

壊れたものを修復するのは、並大抵ではない。
壊れたもの、それは私の野生であり、本心である。

私は自分の野性を取り戻し、自分を最大に生ききる決意をした。
本来、怠け者の私ががんばっちゃうのである。

いたるところで組織化され、規格をつくり、あらゆる矛盾を押し殺して
論理的な生き方に努めようとガンバッている現代社会において
どこまで自分を偽らず、自分に偽らず、生きていけるのか皆目わからない。

けれど、ちいさな私の存在が悲鳴をあげているのを見過ごすわけにもいかないのだ。

社会人としては失格かもしれないが、
そんなことはもうどうでもいい。

自然から授かった体に対し、忠実に誠実に生きてみようと思う。
行きたいところへ迷わず行くのだ。

最初はハイハイから。次に起き上がる。
何度でも転び、転ぶたびに起き上がって、やがて歩き出す。
そしたら、町へ出て電車に乗り、まだ見たことのない世界を目指す。

さあ、出かけようっと。
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by hiroQ111 | 2004-11-09 15:03 | 吠える