理屈よりも体の感覚が好き。直感が大事。


by hiroQ111
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

<   2004年 12月 ( 14 )   > この月の画像一覧

ついこの間、年賀状を出したばかりだと思っていたら、
もう次の年賀状を書かなければならない時期になった。
日頃、締め切りを守る仕事をしているせいか
このプレッシャーは楽しめない。

今年の年賀状はホームページを作成して
そのアドレスをメッセージの中心に据える…そのつもりだったのだが、
どうも機械が苦手な私は、ソフトをインストールする手前で
恐くて恐くて、足がすくんでしまう。
恐いものは、また明日にしようっと、と思い続けて早1ヶ月。
いよいよ年末ももうタイムリミットである。


去年出した年賀状をしげしげと眺める。
その年末にFOX‐TVで放映された「Xファイル」の名作シリーズから題材をとった。
「かわいい魔女ジーニー」が登場する作品。私の特に好きな作品だ。

次々発見される奇妙な死体。Xファイルのモルダーとスカリーがすぐさま捜査現場へ。
モルダーは、魔女ジーニーの存在に気づくが、すでに時遅し。
モルダー自身が、魔法のカーペットを開いてしまったのだ。

3つの願いは何かと問うジーニー。
モルダーは、被害者たちが死んだのは、みな自分の欲に走ったからだ!と気づき
ひとつめの願いごとを、「全世界の平和」だと口にした。

ところが表に出ると、ひとっこひとりいない。
魔女ジーニーに詰め寄るモルダー。
だが、ジーニーは「争う人間がいなくなれば、世界は平和になるわ」と涼しい顔。
解釈が違う!とモルダーは主張、世界を元に戻させる。

こりごりしたモルダーは、ふたつめの願いに
「映画はポップコーン付きで」などというたわいのないものに。

残る願いはあとひとつ。

とあるカフェの扉を開くひとりの美しい女性。
どこかで見覚えが…。次の瞬間、「あっ、魔女ジーニーだ」と気づく。
彼女の頬からは魔女の印がきれいに消えていた。

注文したカフェオレを両手でそっと持ち上げ、満ち足りた笑顔を見せるジーニー。
モルダーの3つめの願いは
「人間に戻ってカフェオレを飲む、そんな幸せな時間を味わいたい」という
ジーニーの願いを叶えてあげることだったのだ。

先日読んだ本「ダライラマに恋して」の中にも
チベットの奥地に暮らす人々の話が出てくるが、
チベット仏教には、「いいことをすれば、自分にもいいことが訪れる」という教えがあり
彼らはそれを忠実に実践しているという。

まさに、魔女ジーニーのお話は、それがテーマだった。
目の前にいるひとを喜ばせてあげる。楽しませてあげるってこと。

さて、来年のテーマは何にしようかな。
「SATC」で、テーマを考えるっていうのもいいかも。

て、いうか。最初に決めた「ホームページ作成」が先だろうって。
[PR]
by hiroQ111 | 2004-12-30 11:56 | 今日の発見
近ごろは、電車の「女性専用車輌」もだいぶ認知されてきた。

これで、チカン騒ぎや冤罪も含めて、事件の数が減るのだから、
駅員さんも警察官も手を煩わせることが少なくなって、
その分、乗客や市民サービスに尽力できる、というわけだ。

ただ、専用車輌となるのは通勤時の特急や快速特急などであり、
普通電車と土曜・休日・祝日には、「専用車輌」が解除され、男女兼用の車輌となる。

専用車輌への扉にはそのための注意書きが貼られているのだが
「ここは女性専用車輌です」
「特急、通勤特急、快速特急のみ」
「土曜、日曜、祝日は女性専用車輌の設定はありません」

などなど、きめ細かく電鉄会社の「決めごと」が書き添えられている。

「土曜、日曜、祝日は女性専用車輌の設定はありません」
ん?

この1文に対して、ある男性乗客が首をかしげた。
「設定ってなんや?意味わからへん」。ボソッとつぶやく。

意味は解読できる。
解読はできるが、それは人間の知性による思いやりによってである。

電車の車内は「会社」でも「会議室」でもない。
生活者が日々の移動に、この車内を利用しているだけだ。

「設定はありません」

普通の暮らしのなかで、
まるで会社か役所の文書通達みたいな言葉を使ったりはしない。

土曜、日曜、祝日は女性専用ではありません。
どなたでもご利用いただけます。
誰かに何かを伝えたければ、伝えたい相手の言葉を使うことだ。

一流のホテルでは、言葉使いもサービスのひとつと考えておられる。
お客様が「テイクアウト」と言えば、スタッフは「お持ち帰り」とは言わない。
お客様の使用した同じ言葉を使う。
言葉使いにも目線を合わせることが大事なのだ。
サービスってそういうことやん。

誰が決めたのか知らないけれど、
会社のサービス能力、コミュニケーション能力が知れてしまう。

勝手に「決まりごと」ばかり増やすねんから
もちょっと「思いやり」に満ちた言葉つこうてね。
[PR]
by hiroQ111 | 2004-12-29 00:45 | 吠える

食べられるという幸せ。

私がよく行く美容院の女性スタッフ。
いったいいくつのアレルギーをもっているのだろうか。
小さい頃に蕎麦アレルギーを発見し、
ウニを食べて食あたり、わさびと唐辛子の刺激を体が受け付けない。
決して嫌いではないらしいが、食べると体にブツブツがでたり、
頭痛がしたり、呼吸困難に陥ったりするらしい。

私は両親のお蔭で丈夫に育てていただいたし、好き嫌いというものがない。
好き嫌いはないが、毎日続けて食べるものも、ない。
根が飽き性なので、続けて食べると、味覚が飽和状態になり、
“おいしい”と感じる気持ちが減るようだ。

元来、ワガママが服を着て歩いてると言われている私は
食べたいものを食べることが人生の一大事だと考えている。
夕食はご飯、という法則などない。
夕食でも、むしょうにサンドイッチを食べたくなる時があり
こんがり焼いたトーストにきゅうりとトマトとレタス、チーズなどを挟み、
からしマヨネーズソースで味つけしたサンドイッチを
コーヒーと一緒にいただくこともある。
なんだかモーニングのようなメニューだが、
私の体が求めているのだと考え、尊重する。

わさびは大好きで、
大根と人参のサラダを、わさびマヨネーズで和えることもある。
にぎり寿司をわさび抜きで食べるなんて、
味噌汁のない和食のようなものだと思っている。ありえない。

蕎麦は、私のオヤツでもあった。
30歳の頃、食べても食べてもお腹が減るので、
ざる蕎麦を食べに出かけていた。
あの細く艶やかで、ひんやりしたのどごしは、
なんというかもう「癒し」の世界だ。
ずるずると言う音にさえ、体がうっとり反応している。

わさびの楽しみも、蕎麦の楽しみも封印されてしまった美容院の女性。
それに比べて、好きなものを好きなときに食べられる私。

私はつくづく幸せ者なのだ。
この体に感謝、感謝。

体に耳を澄ませていれば、
何を食べたいのか教えてくれる。

その言葉に忠実に食べていれば、まず健康に生きていけるに違いない。

でも、気をつけないといけない。
人間は、頭が欲しているものを、体が欲しているものと混同しがちだから。
過ぎたるは及ばざるごとし。
欲張りは、かえって不健康の種を蒔き散らす。何事もほどほどがいちばん。
[PR]
by hiroQ111 | 2004-12-25 23:36 | 今日の発見
だいたい、環境に優しい商品が、なんで大量生産できるんだ?
原材料の調達はどうしているの?伐採、採取、採掘しすぎて、
原料生産国の環境を破壊している例なんて実は結構あるんじゃないの?
大量生産して余るとゴミになるんじゃないの?

本当に体にいいものは、健康的に育てられた野菜だったりお肉だったりするわけで
成長促進剤やなんやかんやを混ぜられたエサを大量に食べているブロイラーが
私たちの体を活性化してくれるとは思えない。

今日居酒屋で食べた馬の生肝や手作りのさつま揚げ、飛魚のかまぼこは
とにかく絶品だった。肝を舌にのせた途端、鮮度がプリンッと弾ける。
手作りで家内工業的に生産しているだけだから
数はとれないが、その分、うまい。お値段もなかなかだけど。

健康的な材料には、体を活気づけるエネルギー量が豊富なのだと仮定すると
少量でも生きていくに十分なエネルギー量が確保できる。

大量生産された食事や物質に囲まれて過ごしていると
私たちの体も少しずつ生きるチカラが弱まり、ブロイラー的な没個性人間に
なってしまうのではないだろうかと心配になる。

明日はおみやげにもらったおうどんを食べよう。
ちゃんと生姜をすりおろして、おネギを刻んで。
ふ~ふ~しながら、つるつるつるっ。
は~、お腹がすいてきた。はよ寝よ。
[PR]
by hiroQ111 | 2004-12-24 01:45 | 吠える

なんで凹むの?

本棚の掃除をしていたら、昔買った七田眞さんの「超右脳活用ノート」がでてきた。
トレーニングブックなので、あまり読むところがないのだが、
3Dイラストも載っていて、そのなかの隠し絵を見ようと思い、ちょっと手を休めた。
絵を30cmほど離し、左右の目の焦点をその前方で交差させるべく、
視線をソフトフォーカスさせる。

隠し絵が現われた。鳥が羽を広げている図とバナナの図だ。
ところが図は凹んでいて、輪郭を現しているだけ。
左目が効いているのか、右目が効いているのか、皆目わからない。
そこで、逆の目が効くように、顔を角度を変えるなどして何度もトライした。

にもかかわらず、図は常に凹んでいた。

七田式の3Dイラストは、右脳開発を狙って仕組まれている。
図が凹むということは、私は右脳が働く前に左脳がでしゃばっているのではないだろうか。
これでは、右脳開発にならないじゃないか。

「速読」の本にも七田式の右脳開発の話がでてくる。
右脳が開いた子供は本のページをめくるだけで、頭のなかに様々なイメージ映像が流れだし
言葉ひとつひとつを追わなくても、内容を理解することができるらしい。
これを応用実験したところ、右脳が開いた子供は、
学んだことのない英語の原書でさえも、その内容を理解できると言う。

昔なら超能力者と呼ばれただろうが、
いまは超能力もSFという言葉も陰をひそめてしまった。
フィクションではなく、日の当たるリアルな世界の存在として認識されつつあるからだろう。
七田式によって右脳が開発された子供たちがいずれビジネスの現場に登場する。
どんな世界になるのだろうか?
ウソなんてついても、モロバレなんだろうな。
図書館の何万冊もの書籍は、いったい何日で読みきってしまうのだろう。
大人の七田式を学ぶお医者さんも登場した。
体を見たら、どこが悪いのか頭にイメージが浮かぶのかな?
次の世紀は、そういうことが当たり前の時代になるかもしれないな。


さて、図が凹んで見える左右逆転の私の頭脳では、
内容も逆さまにイメージされているかもしれない。

逆さま現象はいつか治るのだろうか?
治療方法はあるのだろうか?
[PR]
by hiroQ111 | 2004-12-22 22:42 | 吠える

ギリギリの線

自分でも馬鹿げているとは思うが、
お湯に浸かっていて、突然息をしていない自分に気付いた。

(あれ?私、息していない。でも、苦しくないなあ。なんでやろ?)
せっかくだから、どれくらい長く息を止めていられるか、実験しようと思いつき
しばらく息を止めていた。

お風呂に入っているのだから
体は温まっている。当然、血行は良いはずだ。
体は酸素をたくさん消費する状況にあると言える。

だが、
(まだ、平気やなあ。いつまで止めておけるんやろう?)

お風呂に時計は置いていないので、時間は読めない。
だが、何十年と生きている経験である程度は読める。と思っている。

(そろそろ、息しないと、ちょっとヤバくないかなあ。でも、別に苦しくないしなあ。
なんか、神経がマヒしてるんちゃうやろか。最近、体調悪かったしなあ。)

結局、苦しくはないけれど、脳細胞などへの悪影響を考え、息を吸いこんだ。

これが、昔の記憶を呼び覚ます。小学生の時の記憶。
プールの時間、クラス全員で「もぐりっこ」して、私はダントツ1位だった。
あの時も、結局はみんなが頭上でわいわいがやがや言い始めたので、
心配かけたら悪いなあと思って、自主的にストップしただけだ。

息を止める、水に潜るという行為は、ある意味で死と隣りあっている。
潜在的に「恐い」と感じるから、肉体よりも先に精神が降参してしまう。

「ランナーズハイ」も、医者に言わせれば、
脳が苦痛を回避するために緊急措置をとっているだけで
本当の肉体的快感ではないそうだ。

ただ、ギリギリの一線を超えるためには、
肉体がヤバイという恐怖心をひらリと超えていなくちゃいけない。
決して根性論では超えることができない。
ひらりと何事もないような超え方をする。

ギリギリの一線を超えた者にしか、この快感は経験できないところが残念であるが
その前に止められるひとは、それだけ肉体の生きようとするチカラが強いってことなので
それはそれで素晴らしいエネルギーに恵まれたと思えばいいと思う。

私の肉体は、ひとよりも少しポンコツに出来ているのだろうか。
「もう限界ですよ!そろそろ息をしてください」という肉体からのサインが、
ひとより少し遅れて到着するのかもしれない。

まっ、どうでもいいことだけど。
[PR]
by hiroQ111 | 2004-12-20 00:55 | 今日の発見
今日は、月に一度の映画会の日。
いつもいい映画を選んでくださるので、楽しみにして出かけた。

ハンカチはスタンバイOKだ。さあ、どっからでもかかってこい。
と思っていたが、主人公の父親は見事に明るいキャラクターだし、
ちょっとばかし出っ歯だけど、いつもニコニコしている。

この映画に悲壮感はない。
どっかで観た映画と似ているなあと思ったら
「ライフ・イズ・ビューティフル」のあの父のようでもある。
人生とは、どんなことが起ろうと、楽しみを見つけて生きることができる。


父と息子は、北の田舎町で暮らしていたが、
息子のヴァイオリン・コンクールへの出場を機に全財産を携え北京へ。
コンクールでの優勝は逃したが、チュンの才能を確信した父。
良い先生に就くことができれば息子は必ず成功できると信じ、
父は懸命に働き続ける。

そんなある日、父は、仕事の流れで、大劇場に入りこみ、
無断でオーケストラのコンサートを聴いてしまう。
ソロのヴァイオリニストに注がれる観客からの惜しみない拍手。拍手。拍手。
舞台の上では、彼の恩師が観客の前に披露される。

それを見ていた父は、息子を一流のヴァイオリニストとして成功させるには
一流の世界に生きている、この先生しかいない!と思い、
息子の指導を願うべく、自宅を訪ね、息子がいかに天才児であるかを語り始める。

息子の才能のために、自分の人生のすべてを懸ける父。


国際コンコールへの出場をかけた予選会の日。
チュンは故郷へ帰る父を追いかけ、北京駅へ。

国際コンクールの予選に出るために、今日まで練習し続けてきた
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を奏でる。
ただ、父のためだけに。

一方、チュンが出場するはずだった国際コンクール予選会場では、
ライバルのリンが出場している。

チュンが現われるまで、自分が一番うまいと思っていたリンだったが
いつも「君の演奏には心が無い」と先生から指摘されていた。
ところが、コンクールへの出場権がチュンに奪われたことで
リンは自分が音楽をいかに愛しているかに気づくことができたのだ。

リンの演奏に心の温もりが灯る。

ふたりのヴァイオリンは、場所を超えて競演するかのように響きあう。
ひとりは音楽人たちの、ひとりは駅に集う名もない民衆たちの心を魅了して
この映画は幕を閉じる。

名声とか地位とか、音楽の神の前では意味がないと言うように。

そういえば、歌うように音色を奏でる「フジコ・へミング」も。
~私の音楽を聴いてくれる人がわずかでもいれば、幸せ。
 たとえ、王様の前だろうと、貧しいひとたちの前だろうと、私は自分の音を奏でる~

音楽も映画も、もとを辿れば、ここに行き着くような気がする。
[PR]
by hiroQ111 | 2004-12-16 23:26 | 何度観ても面白い!映画

占いの矛盾。

本日の運勢は、愛情・仕事運ともに最高運、ところが健康運はバテバテ。
いままでなら、「ふう~ん」と言って、通り過ぎてしまうだけだったが
今日はちがうよ。今日は体調悪いねん。頭がくらくらして、はっきりせえへんねん。
何を言われてもあんまりよ~考えられへん。

健康運はバテバテ、これは当たってる。だけどね。
いつも通りの体調じゃないと、仕事もちゃんとこなせないと思うのだけど。
どっか矛盾してませんかね?この占い。

細木和子さん、占いが当たらないと指摘されて
ババギレするシーンがよくTVで映されるけれど
あれ、恐いなあと思います。
(ま、最近、対応がちょっと柔かく変わったみたいで良かったですが。)

占い師としての地位をキープするためには、どんな占いだって
当たったほうが身のためだったりするわけで、
万が一、万が一ではありますが
地震がくるよ、とか、このひととは結婚できないよ、とか
ひとが喜びにくいようなことを占った場合、
占い師の意識としては、「注意」を促しているだけなのでしょうが
潜在意識のなかでは「当たれ」という思いが積もり積もって、
知らず知らず、喜びにくい状況を祈るという矛盾を創り出しているかもしれないのです。

例えば、ジュースを片手にもったままの子供に
親はついつい「ほらっ、ジュースをこぼすよ」と怒鳴ったりしますが
このとき、子供のイメージのなかに
自分がジュースをこぼしている姿が像を結んでしまい、
実現の%を上げてしまうそうです。

不安を増幅させるような発言を不用意に他人に言ってしまうことは
実はかえって不安を実現させてしまうことになっているのではないかと思います。

病気になっても幸せを感じることはたくさんあります。
病気にならなければ、出会えなかったひともいらっしゃるかもしれないし
病気にならなければ、ひとの親身な気持ちに気づかずにいたかもしれないし
病気にならなければ、睡眠の大切さを思い出せなかったかもしれないし
もう、言い出せばいろいろ。

これって、赤毛のアンに影響されている発想かな…。
どんなことでも「良かった」と思えることを探すってやつ。

いいことだけ考えていれば、どんな面白いことが起きるかな。


ここから実話。

妊娠検査で子宮ガンが見つかった女性。
「悪性腫瘍さん、ありがとう。私のお腹の赤ちゃんのために小さくなってくれてありがとう。」
と1ヶ月以上、毎日言い続けてみたそうです。
すると、摩訶不思議なことに、腫瘍は本当に小さく小さくなって、
赤ちゃんは無事出産できたとか。

毎日、何を祈るか。
占いに身を委ねるより、費用もかからず、面白そう。
では、さっそく。
[PR]
by hiroQ111 | 2004-12-16 00:02 | 今日の発見

経営の哲学

今日読んだ本のなかに、興味深い1節があった。

ある旅館の経営者が、最近宿泊客が激減したと嘆く。
町を訪れる観光客がピーク時の2分の1に減り、
旅館の宿泊客も2分の1に減った。
町を訪れる観光客を増やすべく、雑誌に広告を打ち、
観光キャンペーンをあちらこちらで催したが、
観光客がもとに戻る気配はなかった。

この悩みに、本の著者はこう切り返した。
「つまり、町の観光客が増えれば、あなたの旅館に宿泊客は増え、
町の観光客が減れば、あなたの旅館の宿泊客は減るのですね?」

旅館の宿泊客は、町の観光が目当てなだけであって、
旅館が目当てではないと言っているようなものだ。

旅館そのものがお客様から支持されなくては
いつまでたっても町の観光客動向に左右されるだけ。

お客様が「あそこの旅館は良かったわ」と言って
別のお客様を誘ってきてくださる、
あるいは、お客様が「また今年もあの旅館に行こうね」と行って
その家族を連れてきてくださる、
営業効率を高めるには、お客様が知らず知らずに
サポートしてくださること。それが、いちばん大きな営業力になる。

お客様は友人であり、恩人であると思えば、
おもてなしの気持ちもどれほど高まることだろう。
しかも、その友人や恩人たちは、
おもてなしに対して、対価を支払ってくれるのだ。
余計にありがたいではないか。

これはなにも旅館に限ったことではない。
すべての商品、サービス、タレントたちにもこの定義は当てはまる。

お客様を、あるいは、お友達を
どれだけ楽しませたか、感動させたか、喜ばれたかに尽きる。

その地域、その季節、その場でしか楽しめないこと
あなただからできる思いやりに満ちたサービスなど、
探せばいろいろあると思う。

数値目標だけで経営に弾みはつかないのだ。
すべては人間に始まり、人間に辿りつく。
[PR]
by hiroQ111 | 2004-12-12 01:38 | 発想を爆発せよ

湿気取りの矛盾

以前から気になっていたのだが、
わが家に当然のように置いてある湿気取り剤は
実のところ「気やすめ」にしかすぎないのではないか。

人間にとって快適な空間には、
湿度が30%程度必要だと言われている。
夏と冬では快適湿度が異なるらしいが
それでも湿度が低すぎると、静電気が起こったり
肌が乾燥してカサカサし始めたりする。

人間には適度な湿度が絶対不可欠なのだ。

ところが、湿度が60%を超えると、
カビの温床になったり、肌にベタつきを感じたりと
何かと不快を感じることに。

その不快を取り除いてくれる画期的な商品が「湿気取り剤」だったわけだ。
いまやドラッグストアに行けば、山盛りになって販売されている。
私だって、ここ数年、押し入れには欠かしたことがない。

だが、快適な空間には常に湿度が30%ほど存在するわけで、
「湿気取り剤」を置けば、当然のことながら
この必要な湿気まで、ぐんぐん吸い取ってしまう。

水がみるみるうちに溜まっていく様子は
見ていて気持ちいい。

結果がはっきり目に見える商品なのである。
売れないはずがない。

けれども、よ~く考えてみれば
溜まっていく水分は、不要な水分なのではなく、
なくてはならない水分でもあるのだ。

ダマされてはいけない。

風通しの悪い場所なら、
扇風機で風を送るほうがよほど乾燥しやすい。

湿気取り剤に過剰に期待して、
お部屋の隅々にまで置いたりすると、
「なんだか最近お肌がかさつく」などと悩まされることにもなりかねない。

私は、この夏まで、押し入れ上段に2個、下段に2個、
6畳のお部屋にも5個の湿気取り剤をバンバン置いて
すっかり安心していたアホである。

いまでも風通しの悪い押し入れにだけは置いているが
お部屋は自然のままの湿度を大切にしたいので
これまであった湿気取り剤を本日一斉に処分した。

これまでありがとう。おつかれさま。
[PR]
by hiroQ111 | 2004-12-11 02:36 | 吠える