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理屈よりも体の感覚が好き。直感が大事。


by hiroQ111
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<   2005年 01月 ( 7 )   > この月の画像一覧

行動すると変わる。必ず変わるってことを目の前で見せつけられた。

自主上映映画「107+1 天国はつくるもの」は
ごくごく普通の若者たちが何かに取り組み、あきらめずにやり続けることで、
別人のような変わり方をすることを見せてくれた。

総指揮・監督てんつくマン。

お笑いよしもとの芸人さんだった方が
路上詩人となり、作家となり、映画制作者となった。
そのときどきの肩書きがなんだろうと、
彼はてんつくマンとして脱皮し、さらに脱皮を重ねていくだろう。

虹色のマフラーを編んで、アフガニスタンの子供たちに届けたいというプロジェクトには
感動して鼻水までずるずるしちゃった。
無気力な女の子が、ひとにお尻を叩かれながらも、マフラーづくりを呼びかけ
自分でもマフラーを編み続ける。道を歩くときも、どこに行くときも、
毛糸はずっと彼女の傍らにあった。

1200本以上に及ぶ虹色のマフラーが多くのひとによって編み上げられ、
実際にアフガニスタンまで届けにいくのだが
生きるか死ぬかの闘いにあけくれているアフガニスタンの人々は
目の前に出されたものは「いま」「すぐに」手に入れておかなければ
あといつ手に入るかわからないし、手に入れなければ死んでしまうかもしれない、という
ギリギリの線上で、かろうじて「今日」「この時」を生きている人々だった。

目の前にマフラーが出されたら、「いま」「すぐに」手に入れておかなければならないのだ。
難民キャンプでマフラーの取り合いによるちょっとした暴動が起きる。
その日持参したマフラーは力づくによってすべてが奪われた。

キャンプの住民からは、二度とここに来るな、と怒鳴られた。

後日、暴動に対する陳謝と、あらためてマフラーをみんなに手渡したいという思いを
伝えるため、難民キャンプを訪れる。

「僕のことを信じてください」。

てんつくマンは何度もこう言った。
奪われたマフラーのまま終わるのではなく
もういちど気持ちをこめてマフラーを渡したい。
みんなに届けたいんだ。アフガンの寒く厳しい季節に負けてしまわないように。

幼い少女が家から虹色マフラーを手にして戻ってきた。
ひとり、ひとり、またひとり…。またひとり…。

ひとには、感じあえる能力がある。体がそう言って、拍手していた。ブラボー!

ありとあらゆる問題、悩みに効く特効薬があるとすれば、
すべての人間に贈られた、この能力ではないだろか。

感じたら、動く。
動けば脱皮する。次の自分にギアチェンジする。
するともっと動けるようになる。また脱皮する。
ギアが最高レベルに達したとき、何が起こるか…。

いまこのときを自分の手で「天国」に変えてしまおう。それが、この映画のテーマ。
実践する人達のドキュメンタリー映画である。

私たちを、奇跡の場面に立ち合わせてくれる。

ご興味のある方は、こちらへどうぞ。
http://www.tentsuku.com
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by hiroQ111 | 2005-01-27 12:18 | 今日の発見
ご飯を食べないとチカラが出ない。
ダイエットや食事療法を義務づけられると辛い。
美味しいものを食べると途端にご機嫌になる。

そんなの当たり前のこんこんちきやん。
そう思っていた。ついこの前までは。

だが、知人から教えてもらった本のタイトルは「不食~人間は食べなくても生きられる」。
本はまだ読んでいないが、内容が非常に気になる。
想像だけがひとり歩きしている。

新潟に暮らす著者の実体験を綴った本らしい。
水も飲まずご飯も食べず、すでに数年が経過。
ただし、村の寄り合いが年に数回あり、飲んだり食べたりする機会が
まったくないわけではないという。
ひとりだけ「食べない」と言うと、村の住人としては、それはそれで問題であり
ストレスにもなりかねない。なので、出されたものを無理せず食べる。らしい。


食べなければ死ぬと思っているひとにとって、食べない行為は自殺行為に等しい。
ところが、食べなくても死なないと思っていると、食べなくてもわりに平気でいられる。

人間、8時間寝ないと体に悪いと信じているひとが、3時間しか寝ないとストレスになる。
ところが、3時間寝ればもう十分と感じているひとは、3時間寝て快適に暮らせる。

どう思うかが、体に影響している。
思った通りに、体が反応している。

私たちが常識だと思っていたことは、環境が変わると
非常識になる可能性が高い。

「不食」の著者は、食べることで得られるエネルギーを
別のエネルギーから得ていると仮定してみると、
例えて言えば、ガソリン車を電気車に変える、こんな感じだろうか。
別のエネルギーに転換するために、
エンジン部分も変化が必要となるように
著者も身体機能が変化、あるいは進化しているのかもしれない。
そうでなければ、理解できないんだけどなあ。

食べることを前提とする身体のままで、不食を実行すると
常識にしたがって、栄養失調や餓死を引き起こすのだろうか。

すべてが仮定でしかないなんて、なんか消化不良だ…。

ものは試しと、この2日間、お食事を少し制限してみた。
ストレスにならない程度に。
「食べなくっても大丈夫。大丈夫。そのうち細胞が目覚めるはず」てな気分で。

本日のメニューは、目覚めたときお茶1杯。
朝はトーストwithリンゴジャム1枚とコーヒー1杯。
お昼はご飯をお茶碗に3分の1ほど。
人参とこんにゃく、エリンギ、かぼちゃの煮物をそれぞれ2口程度。
おやつは喫茶店でカスタードシュークリームとロイヤルミルクティを。
夜はご飯軽めに1杯。マーボー豆腐軽く1杯。ゴボウサラダ。チョコ1個、お茶。

友人いわく、「結構食べてるやん」。

う~ん、私って、ホント無理しない性格なのよねえ。
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by hiroQ111 | 2005-01-25 00:44 | 発想を爆発せよ
今日は月に一度の映画会の日。本日のお題は「カレンダーガールズ」。
イギリス、ヨークシャー地方ののどかな田舎町が舞台。
ここに暮らすごく普通の主婦たちが、最愛の夫をガンで亡くした仲間のために、
ガン撲滅の寄付金集めを企画した。

では、どうやってお金を集めたか。

手作りのケーキを焼いて?
美しいお花を育てて?
伝統のキルトを作って?

答えは自分たちのヌードカレンダーを売って。

地元の婦人会に参加する主婦の有志たちが集まった。
年齢は、50歳60歳てな感じだろうか。
子供を産み、育て、家事労働を何十年とこなしてきた女性のヌード。
これは、実話に基づいた映画なので、余計に凄みを覚える。

このヌードカレンダー、話題性はバツグンで
記者発表にはイギリス中のマスコミが駆けつけた。
連日連夜、取材はくるわ、お手紙は届くわ、
激励もあれば、批判記事もあって、てんやわんやが続く。
そのうち、アメリカのTV番組への出演依頼やCM出演のオファーまで。

当然、舞いあがる。家庭もぎくしゃくする。
でも、熟年になって、夫に裸を見られることもなくなってしまった彼女たちが
ヌードになる決心をし、実行した。
決心までなら難しくはない。が、決心と実行の間には、天と地ほどの隔たりがある。

実行に移す際、いくつかの条件をつけた。
写真はあくまでもアート的に。
すべてをさらけだすような「裸(ネイキッド)」ではなく、「ヌード」であること。
ヌードには自然のままという意味合いが強い。

「ヴィーナスも人前に裸をさらけ出しているじゃない。私たちと何の違いがあるというの?」
「いいえ、部品はみな同じよ。違うとすれば、そうサイズ。すべてのサイズが違うのよ」
ふむ、納得。

ヌードになる決心をしてから、彼女たちの自分磨きがはじまる。
ジムに通い、トマトとセロリのディナーに耐え、日焼けサロンに通い
レディーたちは健気にがんばる。

出来あがったヌード写真には、
お花に水やりしたり、ケーキを焼いたり、ピアノを弾いたり、
ごくありふれた日常的な風景がつとめて明るく表現されている。
ただ、違っているのは服も下着も身につけていないということだけ。
ある一点をのぞいては。それが真珠のアクセサリー。

さすが、イギリスだなあと思ったのは、
たとえ裸になろうとも、真珠のジュエリーをきちんと身につけているところ。

イギリスは社交の国だ。
女性はレディーとしての、男性はジェントルマンとしてのマナーを守ることが
ほとんど国民的義務であるように思える。

真珠を身につけることによって
英国レディーとしての最低限の一線を守っているのではなかろうか。

田舎でも都市でも、彼らは社交に生き、社交に誓う、そんな民族なんだろう。

ちなみに、伊勢志摩産の真珠はその多くがヨーロッパに輸出されている。
巻きが均一で美しいと、日本の真珠はとても好まれているらしい。

事実として、このカレンダーは米国デビューも果たし、
売上げは1億円を超えた。そのお金で、
ヨークシャーの片田舎にある病院には、
白血病治療のための設備と、
治療を受ける患者とその家族が心地良く腰掛けられるソファが贈られた。

人間は、既成概念や常識にとらわれて行動を規制する必要はないが、
守るべき一線がある、というのはなんとも美しく、気品を感じる。
その象徴が真珠のネックレスとイヤリングであるっていうところが、
オシャレなのである。

私は、自分のどんな殻を脱ぎ捨て、どんな宝石を身につけるのだろうか。
ヤマト国レディーとして???
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by hiroQ111 | 2005-01-21 01:20 | 何度観ても面白い!映画
このごろ、私は「ありがとう」を1日に何度も言うようにしている。
ひとりでブツブツお念仏のように唱えるのだ。
道を歩きながらとか、ご飯を作っている最中とか。

以前に水の結晶写真ばかりを集めた本を見せてもらったことがある。
そして、その写真撮影を手伝ったという、当時助手だったひとからも話を聞いた。

水道水を入れたペットボトルに「ありがとう」の文字を貼って凍らせると
雪のような結晶に変わる。
が、逆の悪意ある言葉を貼ると、結晶化せずドロリとした表情のままだ。
真偽のほどはわからない。

ただ、お腹に腫瘍ができたひとが、
「小さくなってくれてありがとう」の言葉を毎日言い続けると、
腫瘍が小さくなっていたという話をはじめ
耳にしている不思議なエピソードはいくつかあって、
ならば自分で試してみようと思い立ったまでのこと。


わが家から最寄りの駅へは、JRの高架下をくぐらななければ行かれない。
ところが、その高架は線路が剥き出しという情け容赦のない簡易構造。
落下物防止のために左右に20~30cmほどの張り出しが設けてある程度。
電車の車輪が線路の上を高速回転で走っていく様子を、下から眺めることもできる。
すぐ傍らに暮らしているご一家の飼い犬は、すっかり頭をやられているらしく
ときどき気が狂ったように吠えている。

この高架下に響く轟音にタイミング悪く出会うたび、雷に打たれたような衝撃が走る。
私はこの高架下付近で、特に強く「ありがとう」と心に念じながら行き来するように
努めてみた。

はたして…。その現象は起きた。
以前には、2回に1度、いや3回に2度か、もう記憶のかなたではあるが、
それぐらい頻繁に轟音鳴り響く下を通過させられたものだ。
ところが、いまでは、10回に1度、いや20回に1度くらいしか
頭の上を通過しなくなった。勘違いとはどうしても思えないほど決定的な変化だ。

ちょっと恐いし、びびる。が、うれしい。
毎日、じわじわとうれしい。日に日にうれしい。
「あっ、今日もセーフ」と思えた日のありがたいこと。
ますます「ありがとう」が増える。

科学的根拠はまだないが、
メリケン粉を薬とだまして売っても、効くひとには効くのだから
思いこみのチカラであるなら、それでもいいのだ。
あの高架下をくぐるときのストレスから解放されるなら、
なんでも言ってみるし、試してみる。

さて、次は何で試してみようかと思い、
朝一杯のお茶を飲むとき、鼻炎を治してくれてありがとうと言うように
している。そろそろ花粉症の時期だし。ここ数年、毎年お医者さんに通っている。

「ありがとう」はメリケン粉と同じ現象なのだろうか。
それとも…。
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by hiroQ111 | 2005-01-19 12:07 | 今日の発見

潮の流れが変わるとき。

潮の流れが変わるとき、海はしばらく沈黙する。
「潮時」という言葉があるように、人生にも流れが変わる時期がある。

鳴かず飛ばずだったひとが、あるとき急に脚光を浴びる。
世の中にはよくある話。

だが、生まれたときから順風満帆、エスカレーター式に
賞賛を浴びる大スターになっちゃいました、なんて例は
ついぞ聞いたことがない。

高く飛んだ分だけ、冬の時代を経験している。

年末に京都の知人から頂いたゴボウは、直径5cm以上あった。
新種ではない。普通のゴボウを土のなかに放置しておくと
背丈を伸ばさず、横に太るのだそうだ。
中の硬いところをくりぬき、肉を詰めて煮物にする。

最近、通販業界で大ヒットした「人参ジュース」は
フルーツのように甘く、子供にも好評なんだとか。
人参を雪の下に埋め、ひと冬寝かせることで糖分が増すことを
昔の知恵あるひとは知っていたのだ。

いずれも寝ている時間が重要なのだ。

冬の時代。
地球の一番深い穴の中へ自分だけが突き落とされるような、
すべてが予測に反した方向へ走り去っていき
不安と絶望に心がとりつかれてしまう、そんな時期。

光の射す方へ登ろうともがいても、ずるずる滑り落ちてしまう。

そんなときは静かにしていることだ。
沈黙に身をまかせ、心穏やかに過ごす。
引いた潮はいずれ戻ってくる。
そして、以前よりも高く満ち始める。
ただ、その繰り返しに過ぎないのに、
自分じゃ気づかないんだなあ。

春がくれば、ず~っと春のままでいられるんじゃないかと甘い期待も抱くし、
冬がくれば、一生冬のままなんじゃないかと疑いたくもなる。

知人のひとりに、いま冬の時代を迎えているひとがいる。
予測に反したことが起きるから、軌道を戻そうとしてもがく。
もがくから、余計に苦しい。
でも、もがくってことがないと、新しい出口は見つからないものだ。

もがきながら、人間は鍛えられたり、磨かれたりするらしい。
何度ももがくことを経験すると、
「あっ、いま階段を登る手前にいるんだなあ」とわかるようになる。

いまもがいているTさん、
もうすぐ階段の上にいる自分と出会えますよ。
もうしばらくの辛抱ですね。

だって、夜明け前が一番暗いんですから。
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by hiroQ111 | 2005-01-16 01:14 | 吠える
新年早々パソコンがいかれてしまった。
オントシ6歳。パソコン市場ではとっくにご高齢だ。
あっちが痛いの、こっちが痒いのと、ガタガタ言いだすお年頃である。

そろそろかなあと思ってはいたが、イザとなると、やっぱりうろたえてしまう。

PCを立ち上げた途端、「地震だあ~!」と画面が叫んでいた。
いったん再起動させるが、
次に立ちあがってきた画面は猛ダッシュで上下にスクロールしていた。
もういっかい再起動させると、
今度は、ウィルスのような雲が画面上にぷかりぷかりと浮かんでいた。

夢なら覚めてほしい。そんな気持ちだった。

TVなら軽く叩いて正気に戻すところだが、PCではそうはいかない。
説明書を取り出したが、画面に地震が起きたりウィルス雲が登場したりするトラブルは
事例にさえ出ていない。

修理にだせば、きっと数日は戻ってこないだろう。
いま抱えている仕事をどうするか。

やっぱりもう1台パソコンを買うしかないなあ。
買うとしたら、ノート?それとも?
容量はどうする?どうせなら、マルチ対応?OSは?TVチューナー付き?
大きさは?メーカーは?ウィルス対策は?セッティングに要する時間は?
うわっ、すぐには決められないよ~。
しばらくレンタルにしようか。そんなサービスどこにあるんだ?

あちこち電話した。修理をどこでするか、予備PCをどこで手に入れるか。
そして最後に、ダメもとでIBMに電話した。
IBMの窓口はなかなかつながらないのが常である。
もしつながっても、しばらくはデジタル応答が続く。
注意深く耳を傾け、番号を押し間違えないようにしなくちゃいけない。忍耐が必要だ。
「ご購入48ヶ月以内の方は1を、ご購入48ヶ月を超えている方は2を、押してください」
「ご購入48ヶ月を超えている方は、有償でのサポートになりますので、
クレジットカードをご用意してから、先にお進みください」みたいなコメントが入る。

以前もこの有償サポートを利用したことがあるが、
「これでダメなら、初期化するしかないかもしれませんね」と
アホでもできる解決策を言い渡され、あげくに、きっちりと請求書がまわってきた。

人間は学習する生き物だ。
有償サポート2番を選んだ私は、ようやく登場したリアルな応対者に対して
まっさきにこう告げた。
「画面がこれこれしかじかな状態で、立ち上げることもできません。
でもシステムを再インストールするような解決法なら、
私だってできますからねえ。そうではない方法で、
このトラブルを解決できる方法はないのか、それを知りたいんですよ」

バッテリーを抜いたり、電源を抜いたり、最初はショック療法を試みたが、
灰色のウィルス雲はまだ画面上に停滞していた。

担当者は、次に電源を入れ直すよう指示した。
電源をオンにしたら、すぐさまF1ボタンを押してくれと言う。
「1度だけじゃなく、何度も押してください」「はい、わかりました」

1回、2回、3回、4回…。
画面にウィンドウズのロゴがよみがえった。
OH YES!YES!YES!

IBMの電話サポートは素晴らしいぞ~。
良い担当者に当てていただき、感謝、感謝だ。

画面が切り替わり、馴染みのあるシステム修復画面が映る。
私にとっては、9回裏2ストライク3ボールからの逆転ホームランだ。

「そうか」と合点がいった。
パソコンのシステムには、幾通りもの道がちゃんと用意されているのだ。
国道もあれば、県道もあれば、側道も、農道もある。
目的地に行くためにはどの道を通っても行ける。
ただ、国道以外の道は一般には伏せられている。
普段は必要ないものだしね。

道をたくさん知ってるってことは、目的に合わせて道を組み合わせながら
よりスピーディに、より楽しく、より安全に進むことができる。
なるほど。
パソコンにも、人間の潜在能力のようなものがあるんだ。


これからますますデジタル化が進むだろうが、
私、このままではデジタル不自由者と呼ばれかねないなあ。

そしたら、デジタル差別みたいな概念が生まれて
どこかの会場でパネルディスカッションなんかも開催されて、
そのうち、デジタル・ボランティアが話題にのぼり、
デジタル評論家がデジタル情緒についてボヤキはじめたりして。

う~ん。デジタル・アレルギーがでそう…。
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by hiroQ111 | 2005-01-08 04:35 | 吠える

人間の底ヂカラ

ここ数年は、お正月にお墓参りをしている。
お墓は、山を越えた先にある見晴らしのいい霊園にある。

前日降り積もった雪がちょっと気にかかったが、
元旦は朝からお天気に恵まれ、
屋根の雪もポタポタと解け落ちている。
家族は皆タカをくくっていた。

行きはよいよい。である。
母は、テキトーに端折った短めのお経を唱え、
父は、母に命じられるまま新しいお花を供え
私は、雑巾で墓石をきれいに拭き、
いつものごとく一連の努めを果たし、帰路についた。

ところが、である。

峠のカーブを曲がろうとしたとき、
アスファルトにまだわずかに解けのこっている
5センチばかりの雪にタイヤをとられてしまった。

視界が山に向き、また崖に向く。
咄嗟にハンドルを切り返して、鼻先が山に向いたとき、
下からの対向車が目にはいった。

タイヤはまだ自由を奪われている。対向車がブレーキを踏む。

そのとき、生と死の狭間に横たわる静かな静かな時間が
風のようにすうっと流れていったような気がした。

車は、対向車からわずかな距離を残して、静止していた。
対向車は何事もなかったように走り去った。

対向車をとらえてから車が停止するまでのほんの1秒か2秒の間、
車内は静まり返り、頭も心もその動きを停止していた。
たぶん、父は意識せずに、
雪のないアスファルトの上に前輪が出た瞬間、
静かにブレーキを踏んだのだと思う。

対抗車線に雪はなかった。それが幸いだったといえば、それまでである。

が、意識を超えた先に、人間の底ヂカラは目覚める。
潜在能力とも言われるが、私たちの細胞には、地球が生まれてこのかた
生命の進化の系譜が刻み込まれているらしい。
オギャーと生まれてからの個人的な記憶なんかとは
比べ物にならない巨大な生命体としてのチカラが細胞には蓄積されているのだ。

命のギリギリの線上で、ひとは思いもかけず冷静になることがある。
まわりのことに意識が分散せず、目の前のことに細胞のすべてを集中させる。

私は、科学者でも物理学者でもないが、
生命が進化した過程には、こうした細胞のすべてを集中せざるをえないような状況が
たびたび起こったのではないかと想像する。
両生類が生まれたときも。爬虫類や哺乳類が生まれたときも。
そして鳥類が生まれたときも。

細胞のなかには、生命の進化の系譜が大切に刻まれている。

もし、何かになりたいと命をかけて思うことがあれば、
ひとはいかようにも能力を開発する土壌を備えているのだと思う。

そう考えると、なにやら楽しくなる。
いくつになっても、生きている限りは飛び立つチャンスを内在させているのだから。
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by hiroQ111 | 2005-01-02 14:06 | 今日の発見