理屈よりも体の感覚が好き。直感が大事。


by hiroQ111
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遅刻の効用。

私は仕事柄、時間がたいへん不規則で、
休日もマチマチなら、睡眠時間もバラバラである。
寝れるときに寝て、食べられるときに食べて、遊べるときに遊ぶ。そんな感じ。

まるで野生児。

だから、多忙な折は家から一歩も出ず、お天気がどんなかも知らない。
窓の外をのぞいている暇があったら、
ご飯を食べる時間やコーヒーを飲んで一服する時間に当てる。
あるいは、目を閉じて頭を休めたい。
それぐらい集中しているのだ。
昼も夜もなく働いている私に、気軽に用事を言いつけるな!

という半面、暇なときはとっても優雅。
誰かれとなくランチに誘い、映画にいき、本をどっさり持ち帰る、毎日が天国。
こういう日々は、誰に何を頼まれてもニコニコしながら応えてる。

両極端なのだよ。生活が。念のために言っておくと性格だって変わるのだ。

多少神経がピリピリしている日に、
私はあろうことか電車の時刻を確認せずに家を出た。
私を乗せた電車は、目的地までいかず、途中の駅で折り帰し運転となった。
え~、この忙しいときになんでだー!責任者出てこーい!と叫びたい気分。

次の電車も、その次の電車も、その次の電車も、
目的地に私を届けてくれる電車はこなかった。

決して、家を出るのが遅れたワケじゃない。
計算通りに家は出た。ただ、電車の時刻表は確認していない。
都市のJRは3分置きくらいにやってくるとタカをくくっていた。
まさか、通勤時間帯でもある早朝にブラックボックスのような
空白の時刻が存在するとは思ってもいなかった。

お蔭で、きっちり待ち合わせに遅刻した。
ひとりひとりに頭を下げて謝った。尋ねられない限り、言い訳はしない主義。
忙しかったとか、病院に行ってたとか、言い訳されたって事態は変わらないから。

でも、私の心のなかでは「遅刻しちゃった。悪いなあ」と苦虫がごろごろしてる。

その日1日、苦虫があっちで顔をだし、こっちで顔をのぞかせる。
私を責めず優しくされる分、私はもっともっと小さくなる。塩をかけられたナメクジみたいに。

私は遅刻したことで何を学んだのかを考えてみた。
遅刻するべく理由があって、遅刻したのだと考えた。

ある有名な講演者の方が、以前、こんなことを言っていた。
「みんなで旅行に行くときは、必ず5分遅刻するようにしている」と。
トップが遅刻すると、みんなの気持ちをゆるませる効果があるのだそうだ。
その旅にはリラックスムードがただよう。

では、本日の私の意味は?
遅刻して迷惑をかけてしまった人達にずっと謙虚でいられる。
相手の要求にできるだけ応えようと姿勢を低くしている。

謙虚にしていると、相手もまた気遣ってくれる。
(まあ、中にはそれでも横柄なやつはいるけどさ。そんなの問題外。)

遅刻は、私を謙虚に保つ苦い薬であった。
もし、遅刻していなかったとしたら
あまり喜ばしくない言葉をクチばしっていたかもしれない。
クチにださないまでも、顔の毛穴で叫んでいたかもしれない。
仮定の話だから意味はないが、

時間に間に合うように家を出た私を
神様が遅刻するようにハメタ。
お蔭で私はこの1日を謙虚に過ごすことができた。

神様は私の性格をよくご存じなのだ。
遅刻させていただき、ありがとうございました。
常に謙虚でいること。でしゃばらないこと。それが目下の課題かなあ。
ほめられた話じゃないけどね。ごめんなさい。
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by hiroQ111 | 2005-02-24 22:10 | 今日の発見

感度良好?

みんなみんな自分の問題なのだ。

「hiroさん、今日はなんか冷たいよね」。
真剣に物事に取り組んでると、顔はマジになるっつうの。
他人が冷たいんじゃない、あんたの心が冷えてるだけ。

「hiroさん、もう気がきかないなあ。この料理、取り分けてって言ったでしょ」。
大勢で集まっての会食。みな平等。
さらに言えば、私はゲストだし主催者じゃない。
隣人と話が弾んでるところなの。気をきかして自分で取り分ければいかが?

結局…。
「ごめんね。お金扱ってるときは、真剣になるでしょ?」
「ごめん、ごめん。すぐに取り分けさせていただくわ~」
と、ことを荒立てず穏便に済ませる。心の中で、舌をペロリと出しながら。

どれだけ時間をかけて学んでも、やっぱりわからないのね~。お気の毒。

基本的に、「おもちゃ買って~、買ってくれなきゃイヤだ~」と、
泣いてスネる幼児と何ら変わらない。
大人になっても
愛情がとぼしいと、誰かに構ってほしくなるものなのだ。
自分の思い通りに構ってくれないから、文句を言いだす。

彼らの潜在意識では、文句が言いたいわけではなく
どうやら、もっともっと他人様の愛情が欲しいと言ってるだけらしい。
自分のことを見ていてね。自分に注意を向けていてね。
自分のことをずっと好きでいてね。というワケだ。
悪く言えば、欲深い。
だけど、幸薄い人たちなのである。お気の毒。
「満足」を知らずに生きると、これからもずっとおねだり人生が続くよ。

そのうち、だ~れも構ってくれなくなっちゃうよ。

あのね。
今日もお日さまが照らしてくれて、私たちは凍えずにすんだし、
今日も地球の植物たちが休みもせずに、
せっせと酸素を提供し続けてくれているお蔭で無事に生きていられる。
これだけでも、私たちは奇跡のような星に住んで、
地球のありとあらゆる恩恵を受けて暮らしている。

朝がきて、植物が「あ~あ。もっと寝てたい」ってサボるようになったら
昼過ぎまで息をすることができない。
「ありゃりゃ。今日は夕方まで寝ちゃったよ」なんて呑気に言ってたら、人類は絶滅してる。

なおかつ!
目が見えて、物が言える口があって、耳が聞こえて、
自分の舌で甘さやほろ苦さが感じられて、自然を見てきれいだと感じる心があるのは、
体の機能が休まず働き続けてくれるお蔭。
体のあらゆる器官が「もう面倒くさい!」って投げ出してしまったら、
私たちは、その瞬間に終わる。

さらに!
私のことを気にかけて電話をくれるひとがいて、
美味しいものが手にはいったからと、わざわざ届けにきてくれるひとがいて
仕事が片付かない私のために、休日を返上して手伝ってくれるひとがいて、
どのように感謝すればいいか、わからないほどである。


私は時々、ふと目にとまった本を読み返すことがあるが
書かれていることは同じなのに感じ方、捉え方が変わっていて驚く。
何回読んでも、新しい発見があって驚く。

初めて本を読んだ当時は、
その行間にある真意を深く理解できていなかっただけのこと。
本を読んだ当時の、無知でアホだった自分に気づいて、
ちょっと照れながらもうれしくなる。
また数年後に読み返すとき、
きっと今の無知でアホな自分に気づかせていただけるのであろう。

書かれてあることは同じでも、読み手のアンテナ次第で変わるのだ。

アンテナの感度を上げれば、次の世界が見えてくる。
世界のあらゆる情報をキャッチできる高性能なアンテナが
私たちの体のなかに眠っている。zzzzzzz…。
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by hiroQ111 | 2005-02-21 20:44 | 吠える
Ogちゃん、お仕事ありがとう。
もう~ヘトヘトです(涙)。

ところで、「不食」の書を読んでから、
閉ざされていた門がひとつ開いた感じがした。
いったい私たちの体を構成している60兆にもおよぶ細胞は、
どんなにすごい潜在能力を有しているのか?

著者の山田さんのように、体をまるごと投げ出して
細胞の力を試すまでには至っていないが
「不食」読了後、ハイポニカ農法の本を読み、ビジネスマンが書いた超意識の本を読み、
物理の本に手を伸ばし、村上和雄さんの本を読み返し、
さらに、私自身の「少食体験」と
どうしても避けられない会食での「多食体験」を繰り返すうち、
あるひとつの仮定を得た。

ストレスと食欲と性欲と睡眠欲はすべてリンクしあっている。
食事を減らすと、体の負担が軽くなり、睡眠欲求を減少させる。

また、食べなくても生きていけると考えることで、
栄養のバランスを気にしてしまうストレスや、調理による時間拘束ストレス、
食べて消化する体のストレスなどから解放される。
心が解放されるとストレスは確実に減る。
ストレスが減ると、さらに睡眠欲求は弱まる。

ここ最近の体験によれば
多食したあとは、睡眠時間が長くなった。
少食生活中は、睡眠欲求が弱くなるような気がした。目覚めもよかった。

人間は、日々の暮らしで受ける多種多様なストレスにあわせて
食欲や性欲、睡眠欲を刺激し、体と心をコントロールしている。
以前、食欲および性欲を司る神経と、ストレスを感知する神経は
隣接していて刺激しあっていると聞いたことがある。

つまり、ストレスが食欲と性欲を刺激して
「種の保存」に全エネルギーを注ぎこむよう仕向けている。

ハイポニカ農法で育ったトマトの巨木はまるでジャングルのようだが
これは自然環境で育つ際のストレスを極限までカットし、
エネルギーのすべてを成長するためだけに使うよう仕組んだ農法である。

自らの生存・成長にのみエネルギーを注ぐ。

ハイポニカでは栄養も満ちたり、気象の変化に対応する必要もなく
根は好きなだけ伸び広がることを許されている。
種の保存を危惧することなどない状態。

そして、トマトは巨大な多年草になった。

人間も、不食あるいは少食習慣に変えると
体にかかるストレスが極めて小さくなる。

体のストレスを軽減し、体が軽くなることで、心が自然と軽くなり
心が軽くなることで、体の疲れが減り、意識もすっきりしてくるのではないか。

睡眠時間が少なくても快適でいられるのは、食事による肉体疲労がないからでは…。

逆も真なりで、あるならば
体が疲れたと感じないように心の平穏を保っておけば
いらつくことがあっても、不快なことがあっても、体には影響せず、
少食になって、少睡眠になって、少○○○になる。では、なかろうか。

少食になって、少睡眠になって、少○○○になれば、
ますます体と心が冴えてくる。そんな気がするのだけれど
なんせ仮定の話だから、責任はもてない。
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by hiroQ111 | 2005-02-13 00:12 | 今日の発見
最近、専門バカが激減してきたなあと思っていたけど
いた。いた。いたよ~。生き残っていた。

たいてい旧い習慣と常識に汚染されていて
そのモノサシに当てはまらないと、否定的要素をかき集めてきて
旧い常識をひたすら防御しようとする。

でも、専門バカはとてもピュアな精神の持ち主だし、
私はピュアな人間が大好きなので、もし同席しても
ニコニコ話を聞いている。

自分は自分。他人は他人。それぞれの考え方で生きていけばいい。

専門バカを見分けるコツは、簡単だ。
「正しい」を連発する。連発するだけではなく、主張する。言い張る。我を曲げない。

伝統技法や伝統芸能の場合は、いざ知らず
変化の激しい科学、生活文化、ビジネス、教育現場でこれをやる。
本人はいたって大真面目。
でも、本人が信じている常識は、現在より過去に存在しているだけだ。
未来に存在できるかどうかは、わからない。
存在する率のほうが低いとも言える。

一方、天才シロウトたちは、現在よりも未来を仮定して想像する。
いま目の前にないことを想像して、道なき道を歩きはじめる。

例えば、自然が進化したり、成長する道程も同じ。
環境の微妙な違いを瞬時に察知して、新しい品種を生みだし、環境の変化に対応する。
植物が根を張るときもそうだ。
あっ、ここに堅い石があるから、ちょっと横へズレなくちゃ。
根のヒゲセンサーによって地下状況を読み取り、根の進むべき道を決定している。

決してまっすぐに進む根はない。
状況によって、のべつ幕なし変化する。

「正しい」と言って立ち止まっていると、その根拠にあるものは腐りやすい。

自然はいつもまわりの状況によって、サイズを変え、道を変え、スケジュールを変更し、
環境から繰り出されるジャブを、フットワークよくかわすのだ。

「正しい」モノサシで測らなければ、発想は限りなく広がっていく。

ただ、天才シロウトたちの発想は、ただただ偶然の産物である。
近道を見つけられるか否かは、ひたすら運・不運による。

ところが、専門バカは専門ゆえに近道を実に効率よく見つけ出す。
バカだけど役に立つ技術と能力を備えている。バカにはできないのだ。


専門バカの皆様。バカの鎧を脱いで、シロウトの発想に頭を垂れよ。
天才シロウトの皆様。宝の持ち腐れにならないよう、専門家の門を叩けよ。

シロウトと専門家が互いに協力しあえば、どうなるか。
その試みが、ようやく企業のマーケティング戦略として取り入れられ始めた。

そこでは、「正しい」という言葉はもう通用しない。
どんな発想でも検討材料にいれてみる。
もしかしたら、「失敗」に思えた土壌からでも
新しい価値が育つ可能性だって否定できないからだ。

誰だって、専門家でシロウトである。
これからはそんな気分で生きていたいなあ。
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by hiroQ111 | 2005-02-01 16:32 | 吠える