だって、楽しいんだもん。
2007-05-28T02:02:31+09:00
hiroQ111
理屈よりも体の感覚が好き。直感が大事。
Excite Blog
マザーテレサからの伝言
http://yaseijin.exblog.jp/6908808/
2007-05-28T02:02:31+09:00
2007-05-28T02:02:31+09:00
2007-05-28T02:02:31+09:00
hiroQ111
今日の発見
とても勇気をもらったので、ここに記録しておくことにしました。
============================
ひとは不合理、非論理的、利己的です。
気にすることなくひとを愛しなさい。
あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく善を行いなさい。
目的を達成しようとするとき邪魔立てするひとに出会うでしょう。
気にすることなくやり遂げなさい。
善い行いをしてもおそらく次の日には忘れ去られるでしょう。
気にすることなくやり続けなさい。
あなたの正直さと誠実さとがあなた自身を傷つけるでしょう。
気にすることなく正直で誠実であり続けなさい。
あなたの作り上げたものが壊されるでしょう。
気にすることなく作り続けなさい。
助けたひとから恩知らずな仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく助け続けなさい。
あなたのなかの最良のものを世に与えなさい。
蹴り返されるかもしれません。
でも、気にすることなく最良のものを与え続けなさい。
]]>
捨てられないと変われない。
http://yaseijin.exblog.jp/5738436/
2006-09-23T10:48:00+09:00
2006-09-23T11:09:18+09:00
2006-09-23T10:48:23+09:00
hiroQ111
吠える
私たち広告業界は
いろんな企業と取引することが常なので
業界ごとの特性だとか、利点や弱点がわかりやすい、といえる。
最近、中小企業の仕事を受けることもあり、
大手企業と中小企業のその差に気づかされることも多い。
大きくなる会社は、捨てることができる。捨てる度量がある。
小さいままの会社は、捨てることができない。捨てる勇気がない。
(注)
大きい会社が衰退するのは、あんなものやこんなものを
たいてい捨てないからだと思います
捨てるって勇気がいるし、
ちくっと痛いし、びびります。
新人のころ、
ひとつ考えた広告アイデアなり、キャッチフレーズなりを
先輩にばっさり切り捨てられ、ゴミ箱に捨てられてきた。
捨てられ続けてきたといってもいいだろう。
もうこれしかない!なんて意気込んでアイデアを持ちこむのだが
あっさりと斬られてしまう。
もう次のアイデアなんてでないよーと泣きべそをかきたくなるが
泣くひまも与えられず、次のアイデアを発掘するべく、
情報収集に向かわされる。
結局、これ以上ぴったりなものはない、と思っていても、
必ず次はでてくるものだ。
ということが骨身にしみてわかってくる。
けれども、中小企業の社長たちは
小さな成功体験しか持たないひとが多く、
その体験を後生大事に抱えて、捨てることをしない。
大きくなれないのはそのせいだということにも気づかないので
たいていは、自分以外に原因を見つけて、もぐら叩きをする。
その繰り返し。
別に大きくなることがエライなんて思っていない。
でも、老舗ブランドが持続している背景には、
守るべきものと捨てるべきものが明確に意識されている。
ということがわからないと理解できないと思う。
捨てない会社の社長は
パンフレットを作る際も、
リクルーティング用にも使えて
新規開拓にも使えて、などど強欲なことを言い張る。
おめえたちは、だから
万年補欠企業なんだよ!と言いたいところをぐっとこらえて、
「まあ、努力してみます」と言う。
あー、めんどくさい。
だって、いま何をすべきか。がわかっちゃないのだ。
いま何をすべきか、が明確にわかっていれば、
他のところはばっさり捨てることもできる。
捨てなければ、エネルギーも資金も資材も分散されすぎてしまう。
光も集中させないと鈍くなるように、
目的も集中させないと輝けないのだ。
目的に集中できないものが、
他社に大きく差をつけて成長できるわけがない。
だから、万年中小企業なのだ。
と、こんなところで叫んでいても締め切りはきてしまう。
あ~、私は私をばっさり捨てたい。
いまいちだなあ、って思っているひと、
自分の「捨てない度量の低さ」がすべての原因だと考えてみてはどうですか?
かくいう私も、ことしは
いろいろ捨てたり、捨てられたりの連続で、
捨てるときは痛みがともなうものなのですが
なんだか少しずつ頭上の雲がすっきり晴れてきた感じ。
捨てないひとはずーっといまのままです。
捨てないと、奇跡はおきません。
地球がアセンションだなんだとおっしゃっている方々、
結局、人類のエゴを捨てないと、何もおきません。
まずは捨てることから始めてください。
捨てても、必ず次のアイデアはある。
捨てても、救われるのだと信じて、
ジャ~ンプ!]]>
見ざる、聞かざる、考えざる。
http://yaseijin.exblog.jp/4738239/
2006-05-20T20:34:11+09:00
2006-05-20T20:34:11+09:00
2006-05-20T20:34:11+09:00
hiroQ111
吠える
何を着れば適温で過ごせるのか、
出かける前に窓の外を眺めてちょっとばかし思案する。
寒いかな?でも暑かったらイヤだし。
今日も街へ出かけたついでに
軽い羽織りものがあればと、ある洋服店をぶらりと散策した。
ちょうどきれいな若草色のカーディガンがあったので、
ハンガーから外してながめていたら
お若い店員さんが、にこやかに声をかけてくださった。
「その色、最後の一枚なんですよ」とのたまう。
「ちょっと羽織ってみませんか」と声をかけていただいたので、
まあ、せっかくだからと思って、鏡の前に向かった。
が、洋服の上から若草色のカーディガンを当ててみただけで
サイズが小さいなと気になった。
「このサイズ、いくつ?私はMサイズなんですけど」
「これは、えーっとSMSS……。大丈夫ですよ。お客様なら」
さらに、店員は付け加えて、
すっきりしたデザインの割りに、ゆったり着れるだの、
細く見えるだのとあれこれセールストークを続ける。
店のひとが大丈夫と言うのだから、
見た目よりもゆったりしているのか?と半信半疑ながら
袖を通してみる。
うげっ、キツイ。
店員はカーディガンのもう一方の袖も
無理やり私の腕に通してしまった。
「私、Mサイズなんだけど、このサイズ何?」
半信半疑の私は、すっかり疑惑の目で店員を見つめる。
「えーっと、通常でいえば、SSサイズです」
脱がして。
あっ、キツイ。
そっ、袖が伸びてるんちゃうの?
わっ、脱げない。そっちひっぱって。
私、「こんなの小さくて着られません」
店員、「そうですか…。
Mサイズでしたら白もありますが、Mはちょっと大きめなんですよ」。
ほらね。大きいでしょ?と得意気に広げて見せる。
私は、だんだん買いたい気が失せてしまい、
それどころから、あろうことにSSサイズを私の袖に無理やり通した
この店員の脳みそぐにゃぐにゃぶりにたじろいでしまった。
恐るべし。G▲P
さようなら~!!
]]>
感じることが、ひとの始まり。さて?
http://yaseijin.exblog.jp/4675742/
2006-05-15T02:38:00+09:00
2006-05-15T02:40:06+09:00
2006-05-15T02:38:58+09:00
hiroQ111
今日の発見
自然には無駄がない。それはわかる。
では、なぜ、私たち人間はそれぞれの人生を
いつも赤ちゃんから始めなくてはいけないのか。
私は輪廻転生はあると思っているし、
光の層だとか、集合意識、集合無意識に
アクセスしているひとがいるとも思っている。
まずはここが前提となる話だが。
魂は学び成長するものだと考えると、
ひとつの人生を終える頃には相当の経験がたくわえられる。
数百の人生を終えた魂なら、その経験値は「賢者」に等しいとさえ思う。
なのに、私たちの魂は、その情報を常にリセットされ、赤ん坊としてこの世に生まれる。
私はもう何回も考えた。
この経験を持ったまま、若い頃にリセットできたら、
いまよりもっと面白い人生を歩めただろうにと。
でも、すべての人生は赤ん坊から始まる。
この点について、宇宙、自然の合理性はどこにあるのか。
ゼロでなければ、できないこと。叶わないこと。
それが、「感じる」ことではないだろうか。
経験を記憶していると、
感じる前に、「危険」だの「常識」だの、
あのひとはこうだ、このひとはどういうひとだのと「浅知恵」が働いてしまい
ただ感じれば良かったものを、
過去のデータによって色付けしてしまう危険性が多いにある。
魂は感じたいのだ。
感じることのできる、芸術的に素晴らしい装置なのだ。「人間」は。
好きな場所を感じる。おもしろい話を感じる。
太陽の熱を感じる。光を感じる。風を感じる。
緑のみずみずしさを感じる。枯れ葉のかさこそと鳴る音を感じる。
ひとの痛みを感じる。無条件の愛情を感じる。
これら一連の流れに心を浮かべていると
その流れが複雑に押し寄せてくるほどに、
心には、幾重にも色を重ねたような、深みのある「感じ」が生まれる。
雨を感じ、雨上がりの清々しさを感じ、晴れた日の開放感を感じる。
この一連の流れに心を浮かべるからこそ、
様々な「感じ」が交差し、またつながりあい、からみあい、あるいは反発しあって
さらなる「感じ」の誕生を促すのである。
ちょうど池に投げ込んだ石が波紋をひきおこすようなものだろう。
見るもの、聞くもの、肌ざわりなどによって
「感じる」池に石や葉が投下され、波紋が生じる。
波紋はつねに複雑にからみあって新しい流れを創り出す。
感じることを自らの糧に換えられる種族は、芸術家だけだろうか?
新鮮な野菜を求めることは?
昔むかしの歴史に想像をめぐらすことは?
商品づくりは?世紀の大発明は?
私たちが磨かなければならないとすれば、
頭でも精神でも身体でもない。
むしろ「感じる」ことだと思う。
もしも、
「感じる」ことが、魂のリトマス試験紙で、
魂との対話がまさに「感じる」ことだとしたら?
もしも、もしも、
「感じる」ことが、
宇宙や自然、あるいはある次元層のエネルギー源になっているとしたら
私たちはせっせせっせと「感じる」ことで、宇宙や自然に貢献できる。
かもしれない…。
さては、感じてみるとしましょうか。]]>
フェイントをかける。
http://yaseijin.exblog.jp/4187854/
2006-02-23T05:11:04+09:00
2006-02-25T14:20:40+09:00
2006-02-23T05:11:04+09:00
hiroQ111
発想を爆発せよ
いまから思えば、たくさんの疑問を持ちながら
誰にも問わず、自分で解決策を見つけだそうとしていたのかもしれない。
あるいは、こどもながらに、
その疑問は「変だ」と気づいていたのかもしれない。
だから、誰にも問わなかったのか、
ある日、学校からの帰宅途中
「自分に見えている世界がすべてなのだろうか?」
ふと頭のなかにそんな疑問が浮かんだ。
「すると、この角を曲がってしまえば、
それまで見えていた世界は停止するのだろうか?」
と、仮説を立ててみた。
私の目に映っている世界だけが生きて動いていて
角を曲がって視界から外れた世界は、一瞬のうちにスイッチがOFFになる。
でも、ホントにそうなのかどうかを確かめるためには
曲がったふりをして、くるっと後ろを振り向かなくちゃ。
私は、何度もフェイントをかけて、もと来た道を振り返った。
何度やっても、私の目に映る世界では、人々はちゃんと生きて動いていた。
「なんて、素早いひとたちなんだろう」
あまりの自我の強さに、クラクラめまいがしそうなほどである。
が、6歳の私は真剣そのものだった。
すっかり忘れていた、こどもの頃のエピソード。
そういえば、幼稚園のころ、
工場の敷地内に入ったとたん、
一緒に遊んでいた近所の男の子たちがその門を閉めて通せんぼした。
出入り口は2つあったので、
私がもう一方の出入り口へかけっていくと、
男の子たちのほうがちょっとだけ早く着いていてその門の前で通せんぼしている。
そこで私は考えた。
右に行くと思わせて、左から出る。
人生初の「フェイント脱出作戦」。
まんまと大成功を収め、
男の子たちの驚いた表情を尻目に
私は小躍りしたい気分だったが、
「こんなの朝飯前よ」といわんばかりの
めちゃめちゃ見栄をはった態度を取っていたように記憶している。
女とは、得てしてそういう種族なのか?
流れを変えたいとき、
生き方を変えたいとき、
自分を変えたいとき、
神様にも予想できないほど素早く「フェイント」をかけることだ。
たとえば、
一度もはいったことのない喫茶店にはいってみる。
絶対選ばない本を選んで買ってみる。
こんな時間にブログを書いてみる。
フェイントをかけることで、脳に刺激が伝わる。
視点が拡大し、結果が変わる。
ふだん、避けていたことは何だろう?
私には似合わないと思い込んできたものはどれだろう?
こんなこと言えないって飲み込んできた言葉はあったかな?
フェイントをかけるときは、考える暇を自分に与えないことだ。
フェイントは自分の壁をハンマーでぶち破る行為なのだから。]]>
罪は深いよ。NHKさん
http://yaseijin.exblog.jp/4177191/
2006-02-20T16:31:44+09:00
2006-02-20T16:32:37+09:00
2006-02-20T16:31:44+09:00
hiroQ111
吠える
その思想を日本に広めた功労者 池田香代子さんが講演で紹介された
ちょっとショッキングなお話です。
以前、NHKが憲法第9条の改定問題について、
一般の人々にアンケートをとりました。
その結果をTVで公表する際、
●改定反対 38%
●改定賛成 38%
●わからない その他 24%
とでました。
(※事実は、38%ではなく、39%だったかもしれません。)
改定反対派は、青で表示され、
改定賛成派とわからないその他の合計62%は
同じ暖色系の色で表示されました。
それを見ていたひとから、
同じ暖色系の色で表示すれば、
瞬間的に憲法改定を支持するひとのほうが多い印象を受ける。
NHKは暗に心理操作していると、文句の電話が殺到したのです。
そこでNHKは、色使いを変えて、翌日再発表しました。
ところが、その裏にもうひとつの真実が隠されていました。
アンケートの回答のうち、
「改定賛成」と答えたひとの11%は
9条をさらに強化した内容に変えるべきと答えていたと言うのです。
にもかかわらず、NHKは「改定賛成」をひとくくりにして38%と表現。
アンケートの真意を正確に表現するなら、こうなります。
9条の憲法遵守を願うひとは、49%
軍備を持ちたいと願うひとは、27%
わからないその他のひとは、24%
これが、アンケートの真意です。
NHKは国民のものです。
それなのに、権力者の意向に沿って
事実をうまくごまかしながら表現しています。
そのようなことが起こるのは
私たち国民が権力者に権力を持たせてしまっていることの証拠です。
国民ひとりひとり、できることは違う。
しかも、ひとりひとりはとても微力。
でも、決して無力ではありません。
微力でも、その力を何かで示せば、
そう、たとえば、
ひとりが5人に伝えるだけでも、世の中に波紋が広がります。
いま、世界中に配備されている原子爆弾の数は、
百の単位でも千の単位でもないそうです。
万の単位。
それだけあれば、地球なんて木っ端微塵。
睨みあうことを止めなければ、世界はますます軍備増強へと急ぎます。
睨みあうことを止める。それがひとり、ふたりと増えていけば
やがて、世界の潮流になれば。
人々の集合意識が変われば。
政治家はこれに従わざるを得なくなります。
主権は国民である私たちにあるからです。
]]>
気持ちがすべてを決定する。ファイティングガール
http://yaseijin.exblog.jp/4162309/
2006-02-16T17:07:29+09:00
2006-02-17T01:01:20+09:00
2006-02-16T17:07:29+09:00
hiroQ111
何度観ても面白い!映画
何度観ても面白い。
ファイティング・ガールは実在したアメリカボクシング界の
女性プロモーター「ジャッキー・カレン」がモデル。
大手プロモーターに啖呵をきり、
その結果わずか1ドルでプロボクサーを買わされることに。
ボクサーの家を訪ねてみるとヤクの最中。
さっさと退散しようとしているところへ、
体格のいい若者がドアを蹴破り侵入。
ヤク中とはいえプロのボクサーを、
なんと数発でノックダウン!
ジャッキーはその若い黒人「ルーサー・ショー」に
目をつけ、プロのボクサーにならないかと声をかける。
ボクシング界は巨万のお金が動く。
ギャンブル、八百長の温床でもある。
言わずとしれた男の世界。
女はリングにすら上がれなかった。そんな時代に、
ジャッキーは女ひとりで宣戦布告したのだ。
大手プロモーター会社のオーナーは
ジャッキーたちが試合ができないよう
近隣の興行主たちに手をまわす。
自分たちの富を女なんかに奪われていいのか?
ジャッキー、目障りな女だ。
男に対して二度とへらず口が聞けないようにしてやる。
ジャッキーは様々な圧力と妨害を受けるが決してめげず、
逆に、たくましい精神力と、マスコミへのあの手この手のアプローチ作戦で、
ボクシング界のヒロインとして一躍脚光を浴びる。
ところが、
ジャッキーが目をつけ育ててきたボクサー「ルーサー・ショー」は
取材に講演にTV出演にと飛び回り
自分を忘れたかに見えるジャッキーに業を煮やし、
「あんたが活躍できているのは俺のお陰だろ!」と言い放つ。
ジャッキーは売り言葉に買い言葉で
「私が理解できるのは『契約書』に書かれている言葉だけよ。
私がいなければあなたは破滅よ」と言い捨てる。
完全に信頼関係の冷え切ったボクサーとマネージャー。
ここで男性のマネージャーなら、
感情よりもビジネスを優先させたかもしれない。
ところが、ジャッキーは母性の厚い女性。
しょせん、女の自分には
ボクシングという男性社会に太刀打ちできないかもしれない。
そうなればルーサーの才能をこれ以上伸ばすことが不可能になる。
ジャッキーは最大の敵であった大手プロモーターにルーサーを譲り渡すことを決意。
彼らはジャッキーに、今後一切リングのまわりをうろつくなと言い渡す。
こどもの頃から大好きだったボクシングを断ち切られたジャッキー。
でもそれは、チャンプの素質と才能を十分に備えたルーサーの未来を守るため。
母親がわが身を削ってこどもを守るような、そんな潔い行動である。
ところが、悪徳プロモーターは
金のため、男の名誉のためならどんな手段も惜しまない。
相手の将来?ハン!ボクサーなんて後から後からどんどんでてくるさ。
とにかく「ファイト」がある限り、金はついてくるんだから。
ジャッキーから離れ、
大手のプロモーターに身柄を引き取られたルーサーは彼らの商売のため、
3週間後にミドル級チャンピオンへの挑戦試合を組まれてしまう。
3週間では体の調整ができない、とあきらめるルーサー。
試合当日、相手のチャンピオンは、1ラウンドが始まるやいなや、
いきなりルーサーめがけて怒涛のごとく連打。
相手の波にすっかり飲まれてまともに身動きすらできない。
しかも、チャンピオンはルーサーの股間にするどいパンチを1発見舞った。
レフリーから注意を受けるも、次にはリングのロープに体ごと押し付け、
ロープから外に出ている頭を殴打。
またもやレフリーから反則をとがめられるが、退場はない。
ジャッキーは、カーラジオで放送を聴きながら
ルーサーが受けている痛みが自分にも伝わってくるのを感じていた。
いてもたってもいられないジャッキー。
ルーサーを手放さなければ良かった。
ルーサーの才能がこんな形で抹殺されようとしている。
正当な方法で、チャンスを与えられないなんて。
その気持ちは、まさにジャッキーが幼い頃から味わってきたものだった。
女性であるために、リングに上がることすら許されず、
いつも女に何ができるとバカにされ、どんな努力をしても
すべて上司が手柄を横取りする世界。
ジャッキーは車を降り、会場へ走りだす。
かつて知ったるアリーナ。場内へ入るなんて朝飯前。
ルーサーはみじめに打ちのめされ、
ロープを支えにしてようやく立ち上がる有様。
ジャッキーは思わずリングへ向かって走り出す。
3ラウンド終了。
そこに、リングにひらりと上がるジャッキーの姿が。
コーナーに腰掛けているルーサーに近寄り、
ルーサーの弱りきった瞳をじっと見つめた。
「お願い、1分だけ時間を頂戴。
ルーサー、ごめんなさい。私が悪かった。私を許して。
でも、リングに上がった以上、あなたは闘わなくちゃいけない。
どうして相手が反則すると思う?あなたに勝つ自信がないからよ。
あなたは、この試合に勝って、歴史を塗り替えるのよ。
あなたならできる。あなたには才能がある。私なんて必要ないのよ。
あなたは自分の力で十分にチャンプになれる。
さ、行って。ヤツをたたきのめしてきて。」
ジャッキーはルーサーの背後にまわってそっとつぶやく。
「相手が踏み込んできたら、スタンスを変えて右を狙って。
自分のビジネスをするのよ」。
ルーサーの意識が変わる。
反則してでも勝とうとしたチャンプの姿が小さく見える。
ルーサーのパンチが戻った。
チャンプは余裕を失い
ルーサーの手のうちに入ってきた。
いまだ。ルーサーが足のスタンスを変える。
歴史を変えるんだ。
ルーサーの鋭いパンチを受け、チャンプの体が右に左に揺れる。
そして、ついにロープをつかみながら、膝をくずし、マットに倒れこむ。
会場を埋め尽くした聴衆から一斉に歓喜の声が響きわたる。
ジャッキーはその様子をうれしそうに眺めながら
そっと会場から出て行く。
私は、このシーンが好きだ。
DVDのメニューを選んで、もう一度余韻に浸る。
映画的といえば、映画的なシーンだ。
ふらふらになるまで叩きのめされた人間が
たったひとことで意識が変わって
するどいパンチが繰り出せるほど、足腰の力が
瞬時に甦ったりするか?
するのだ!!!!!
意識は、60兆の細胞を目覚めさせるのだ。
ボクサーのように集中力を鍛錬した人間ならなおさらだ。
できない人間は、本気になる度合いが薄いのだ。
思考をシャットダウンできるほど集中できていないのだ。
自分の細胞を疑い、自分の才能を疑い、
自分の気持ちすら疑っていては、
なにひとつ超えられないのだ。
気持ちがすべてを決定するのだ。
できると思えば、できる。
気持ち次第なのだ。
気持ちが細胞を支配している。
ルーサーはジャッキーの言葉によって
チャンピオンとして輝いている自分を思い描いたはずだ。
ルーサーとジャッキーは本当は心の底から
信頼しあっているパートナーだったから。
あ~、仕事なんてそっちのけで、
また観たくなっちゃった。
]]>
爆笑、結婚式スピーチ。
http://yaseijin.exblog.jp/4142764/
2006-02-11T21:45:44+09:00
2006-02-11T21:53:54+09:00
2006-02-11T21:45:44+09:00
hiroQ111
今日の発見
久々に手を打って大笑いしました。
中村屋さんが結婚式でスピーチをはじめたら…。
あら、あら、あららら。
http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=22968
ひとり関西弁のおっさんがまじってますねえ。
間、抜けてはりますよ~(笑)。
制作者はどなた様なんでしょう?
お笑い作家なんでしょうか?
(※制作者を探そうと思って、あちこちクリックしたら、
お色気HPへアクセスしておりましたので、ご興味のない方はご注意を)
わはははは。は~。
ありがとうございました。]]>
hiroQとの対話
http://yaseijin.exblog.jp/4140326/
2006-02-11T01:42:57+09:00
2006-02-11T01:42:57+09:00
2006-02-11T01:42:57+09:00
hiroQ111
今日の発見
はい。思います。
では、誰に鍛えられているのですか?
えーと、出会ったすべてのひとと。
ときには私が反面教師になってひとの嫌がることをしました。
ひと様に教師を頼んで、痛い目にあわせていただくこともありました。
その効果はありましたか?
うーん、そうですねえ。
どうでもいいような問題で怒ったりケンカしたりいじめられたり。
いま考えると幼稚な精神レベルだったかな。
だから、その時々にぴったりあった精神レベルの方々と
強制勉強会を開催していたような感じです。
つまり、お互い様って言葉は、
お互いに学びあう関係ってことじゃないでしょうか。
悔い改めているのですか?
いえ、後悔ばっかりしてても自分が辛いので
お互いに学びあって成長してきたんだ!いうポジティブ思考に切り替えて
自分のことも相手のことも責めないようにしないと。
責めている自分も結構心が痛いものだから。
じゃ、反省はなしってわけ?
いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや。
反省してるもん。何回も反省したもん。
ひとは、気づかせたり気づかされたりして、成長するんだから
教師役と生徒役がぐちゃぐちゃに入り乱れている状況が
実は世の中の正しいあり方ではないかと。
はっはっは。
つまり、善悪を区別するものはないということか?
ええっ、まあ。そういうことに、なるかと…。
どんなことが起ころうと、ホントにそう思えるな?
えっ、あっ、いやっ。そんなワザワザいけずせんかったって…。
まあ、なるべく離れた地点から自分を見守っていくことにします。
甘く、優しく。ぜんぜん厳しくなく。
]]>
目に見える世界は、鏡である。
http://yaseijin.exblog.jp/4136784/
2006-02-10T01:39:24+09:00
2006-02-10T01:43:14+09:00
2006-02-10T01:39:24+09:00
hiroQ111
今日の発見
うなされているのか夢なのか判然としませんが
朦朧とした頭に映像が走馬灯のように次々に映しだされました。
それは、私が、過去しでかしてきた悪行の数々でした。
えっ、こんな悪いことを私はしてきたのか?
可愛い悪事もたくさんありましたが、
ちょっとギョッとなるようなこともしでかしておりました。
アルバイトをさぼるのに友人にウソ電話をかけてもらったり
親にウソをついてお金を騙し取ったり(高校生のおこづかい程度ですけどね)
上司をバカよばわりして悪口言いまくったり
遅刻もたくさんしたし
ひとが紹介してくださった方の態度が許せず、いきなり抗議の手紙を送りつけたり
とてもじゃないけど、すべてを書きだすとキリがないほど。
とにかくたくさんの方にご迷惑をかけてきました。
あ~、そうですとも。私は悪いヤツです。
高熱のあと、大反省したことは言うまでもありませんが
あまりにもたくさんの悪事を思い出したことで
私のなかには、悪の芽がぎっしりはびこっていて
油断をしてしまうと、いっきに悪の芽を育てることになりかねないと痛感しました。
他人を責める資格なんて私にはさらさらないのだということを
イヤというほど思い知らされました。
ホントに閻魔さまの前に引きずり出された罪人のような気分でした。
1週間以上経ったいまも、ひたすら懺悔の日々です。
また、逆の視点で言えば、
私は、過去に、たくさんのひとから腹の立つことをされ、
たくさんひとを嫌いになりました。
でも、なんで腹が立ったのか、よ~く分析してみると
自分も相手の立場をちゃんと理解していなかったな~とか
取るに足らないようなことを大きく重たく考え過ぎていただけだったなあ~とか
ここでもまた反省すべきことがわかってきたのです。
物事は、自分の心の目で見ているだけなのです。
物事は、捉え方次第で善にも悪にも転ぶ、幻のようなものです。
自分の心の目が、鏡の役割を果たしているのだということに
気づきはじめました。
物事はいくらだって悪く言えるし、
いくらだって良く言うことができる。
つまりは、自分が感じたいように物事の側面を見ているだけ。
丸いお月様の裏側は見ることができないのと同じ。
良い面だけを見て過ごせば、
自分のまわりの世界は優しさと愛情にあふれるものになります。
そういう意味で、
私たちは世の中を鏡のように映して見ているだけなのだと思うようになりました。
イヤだなと思うひとが目の前に現れたとき、
それは、私のなかにもある「イヤなヤツ」が鏡面になっているのだなと考え、
何か良い点を探そうと努力をはじめています。
イヤだなと思うひとと会って、良い点を見つけるのは
すごく難しいのですが、このトレーニングを続けていけば
きっと自分のプラスになるはずだと考え、忍耐強く続けていこうと思っています。
ボールのこちら側が陰になっていれば、
向こう側には光が射しているはず。
なるべく光の面だけを見ていこう。
光を感じることができた日は、
それは自分の心が光っている日。]]>
ルールを決めると、いいかも。
http://yaseijin.exblog.jp/4132530/
2006-02-09T00:51:08+09:00
2006-02-09T00:51:08+09:00
2006-02-09T00:51:08+09:00
hiroQ111
今日の発見
でも、時々破っては反省する、その繰り返し。
時間がある限りYESと言う。
愚痴は言わない。
好き嫌いを言わない。
自分の好きなことを優先する。
言霊を活かす。
かなり思いつきのルール。
でも、ルールを決めていることで
決断が早い。迷いが少ない。
ただ、失敗は多い。ので、学びもたくさん。
時間がある限りYESと言うというテーマの年は
したくもない仕事を引き受けては
めちゃくちゃストレス溜めて、イライラしていたなあ。
好き嫌いを言わないってルールの年は、
半年でネをあげてしまった。
好きと嫌いは人生の妙味。
つまり、味覚から甘いの辛いのを取り去った状況。
生きてるのがつまんない。つまんない。
だから、半年でヤメた。
その年の9月からのテーマは、
好きなことを優先して生きる。
180度反転した生活に、毎日ルンルン気分。
でもね、ちゃんと自分の目的や生活スタイルにあった
ルールでなくては意味がないかもしれません。ふむ。
ちなみに、
北海道のお菓子屋さん「六花亭」の社長のルールは⇒
『真心のこもったお菓子をつくり続けるためには、
つくる人の心を大事にしていないと出来ない。
だから、毎日誰かがヒーローになれる場づくりをしている。
すべてのひとにスポットライトを当てる。
そのためのコストは必要経費である』
アニメ映画監督のルール⇒
『創造的ディスカッションはすべて肯定的意見であること。
もし否定的な意見を出す場合でも、
必ず肯定的意見を用意しておくこと』
知りあいの工学博士のルール⇒
『親切も親孝行もひとからの頼まれごとも、とことんやる。
これでもか!の徹底的な実践が大事』
とあるTV局に提出する企画書のルール⇒
『企画書はA4 1枚で提出すること。言い換えれば、
A4 1枚に凝縮できる研ぎ澄まされた企画であり、
骨子が明瞭であること。』
私のようにルールをころころ変えていると
「あ~またか」と言われて、信用につながらないが
上記の人々は、徹底的にルールを死守して
まわりのひとの信頼を勝ち得ている。
そうかあ、ルールは守るためにあるのね。
棚の上に飾って喜んでいるだけじゃ、ダメかもなあ。
私の場合は、
ルールを適当に守るってのが、いちばん似合ってるかも。は~。]]>
捨て身の強さ、エリン・ブロコビッチ
http://yaseijin.exblog.jp/4108551/
2006-02-03T01:02:47+09:00
2006-02-03T01:36:23+09:00
2006-02-03T01:02:47+09:00
hiroQ111
何度観ても面白い!映画
猛スピードで交差点につっこんできた医者の車に追突されて
大怪我を負ったエリン・ブロコビッチ。
どこから見ても完ぺきな被害者であるはずなのに、
弁護士までついていながら、なぜか裁判で負けてしまい
1セントも慰謝料がとれなかった。
小さな子供を3人も抱え、
夫と別れ、ひとりで子育てしている善良で美しいお母さん。
裁判で負ける理由など何ひとつなさそうなのに、負けた。
弁護士は言う。
「敗因は、君の言葉使いだよ」。
猛スピードで交差点に突っ込んできたのは医者のほう。
裁かれるべきは医者のほう。
なのに、なぜ?
医者のように社会性があって知的な人間が
スピード違反などするわけがないという、教養コンプレックスが
実は、アメリカの泣き所である。
これにひきかえ、
エリンのような無教養で粗野な人間はお金欲しさに何だってする性悪女、
という、コンプレックス社会が作り出した幻影に、
エリンは完全に敗北したのだ。
治療費に入院代に弁護士費用に車の修理代。
おまけに働いていなかった月日の生活費。
すべてが借金としてエリンにのしかかる。
彼女には乳のみ子を含めて10歳にも満たないこどもが3人もいるのだ。
彼女は泣き言を言う前に、
働き口を求めてあらゆる手段に打って出る。
最後は押しかけアルバイター。
自分を敗北に追いやった無能な弁護士に自分の面倒を見るよう強く迫る。
「押しかけ女房」という言葉があるくらいだから、
相手の迷惑よりも、まず自分がどうしたいかを敢然と主張する人種は
どこにだっているのかもしれない。
ただ、言った以上は責任を取る。しかも、中途半端はしない。
公害訴訟の原告団、つまり社会的弱者の気持ちに寄り添い
弱者の共感と、信頼を得ていく。
もし仮にエリンが弁護士資格を手にするエリート層だったら
原告団のひとりひとりの気持ちを開かせ、
信頼という絆を結べただろうか?
理不尽な経験をこれでもかというほど味わってきたエリンだからこそ
長年に渡って企業利益の前に踏みつけにされてきた公害被害者の気持ちに
寄り添うことができるのだ。
故松下幸之助氏の生前の言葉にもあるが
「私は無学だったから、ひとの話をよく聞いた」。
エリンの言葉は、ときにはこどもには聞かせたくないような
下品な言葉使いだったかもしれないが、
エリンは被害者の話を熱心に聴き続けた。
600名を越える被害者の名前はもとより、電話番号もソラで言えるほどに。
そして、エリンの話によく耳を傾けた弁護士は、やがて、
史上最高額の和解金を勝ち取るに至るのだ。
良い医者、良い経営者は、ひとの話をよく聞く。
他人の言葉によく耳を傾けるひとこそ、
幸いである。
あ~、耳が痛い。]]>
あけましておめでとう、なのだ。
http://yaseijin.exblog.jp/4088178/
2006-01-29T01:19:53+09:00
2006-01-29T01:19:53+09:00
2006-01-29T01:19:53+09:00
hiroQ111
うれし、楽し。
ことしの元旦は今日、1月29日に当たるらしい。
エブリバディ、ハッピーニューイヤー!なのだ。
たぶん、中国や神戸・横浜の中華街では爆竹鳴らしてお祝いをすることだろう。
今日は奇しくも日曜日。
お月様は新月です。月の光のない夜。
でも、今日を境に光が徐々にふくらんでいくのは、楽しみ。
明日の夜は初夢が見られるといいなあ。
新年の抱負もちゃんと立てているのだ。
1年間守り通せるや否や。
年に何度も新年があるといいのだけど…。
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60兆の史上最大の軍隊を指揮する
http://yaseijin.exblog.jp/4084177/
2006-01-28T00:09:31+09:00
2006-02-03T01:40:00+09:00
2006-01-28T00:09:32+09:00
hiroQ111
今日の発見
ここまで被害が広がった原因は何か
原因の根本はどこにあるのかを、頭の隅々まで虱潰しに探してみた。
と、同時に甚大な被害が広がっていくなかでの闘い方について
つまり、残り少ない戦力で「負けない」勝負を闘いぬくための方法論を
模索しなければならなかった。
戦場は背中がぞくぞくするほどの熱で充満していた。
ここで寝てしまっては、敗北は必至。
とにかく栄養補給と水路補給を万全にして、
気力を集中させておかなければならない。
頭が朦朧とするほどの熱との闘いに追われながらも
我が兵士たちは黙々と仕事をこなし、
一時は劣勢に喘ぎ苦しめられたが、
3日間の攻防戦でついに我が軍は総攻撃に転じ、
なんといとも易々と敵軍を一掃してしまった。
我が軍は60兆。
地球上の人口が64億人と言われている現在において
はるかに凌駕する組織を私は有している。
まっ、いわずと知れた細胞のことだけど。
私は、38度の熱を横目にみながらも
仕事を完了させるために、我が軍の集中力が散乱することのないよう
目頭に力を凝縮させ、視線の先から読み取る情報を
一端、脳細胞に引きこみ、
参謀会議で検討し、敵軍の攻撃が始まる前に
密かに文章化してはデータに落とし込み続けた。
兵士の疲労の色は濃く、初日は早めに休ませ、
翌日の決戦に備えた。
私は敵軍が油断しやすい早朝作戦に切り替え、
早朝から仕事をこなしていた。
昼頃になると敵の熱爆弾は次々投下され
気づくと39度近くまでに熱の波紋が拡がっていた。
げっ。
許せん。
私は、ここまで疲労に耐えて耐えて闘い続けた兵士のために
とにかくビタミンCとカテキン補給戦略で徹底抗戦の構えにでた。
ウイルスにはカテキン。
免疫を助けるにはビタミンCを次々補給し続けてやらなくては。
睡眠前には瞑想音楽を流して敵の戦意喪失を図ってやる。
60兆の我が兵士たちよ。
目覚めよ。
全細胞を組織して、敵に総攻撃の夜襲をかけよう。
そして、私は体を横たえ、眠りについた。
熱はすでに39度5分まであがっていた。
私は高波動水と書かれた「三隅の潤水」(某店 店頭価格 240円)を
グラスに注ぎいっきに飲み干す。
我が軍が総攻撃に転じている間、
私は、水分補給はもちろん、頭を冷やし続け、
体力が無駄に消費されることのないよう、体の力をできるだけ抜くよう心掛けた。
夢なのか、妄想なのか、うなされているのか、判然としないまま
様々なビジョンを走馬灯のごとく見つづけて、ようやく白々と夜が明けた。
熱は一気に37度4分まで下がっていた。
私は勝利を確信した。
60兆の兵士を厚くねぎらい、幾度も幾度も礼を述べ、
疲れきっているであろう兵士のために、
水分とビタミンを補給し、再度睡眠をとることにした。
ありがとう。全細胞たち。
ひとの体は60兆の細胞で構成された組織体である。
組織は目的のために働く。
目的は何か?
それは、私たちひとりひとりの「潜在意識」ではないか。
潜在意識層とつながることができるほど
意識を強化することができれば
言い換えるなら、
意識と潜在意識とがひとつの目的に向かうとき
ひとは60兆の組織を味方につける史上最強の個となり得るのではないだろうか。
60兆の組織を集中させ、力を分散させないためには
やはり繰り返し、言葉で動機付けするしかないのではないだろうか。
この史上最強の組織を、
どんな軍団に育てあげるのも、自分次第である。
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「面倒」は楽しいのはじまり。
http://yaseijin.exblog.jp/3616333/
2005-10-13T15:15:43+09:00
2005-10-13T15:15:31+09:00
2005-10-13T15:15:31+09:00
hiroQ111
今日の発見
今日の関西地方は快晴に恵まれ、
並木道に降り注ぐ木漏れ日が気持ちいい。
ベンチで寝てるひと、虫を追いかけている鳥、
自転車を置いたまま鳥のように話続けている近所のおばさん。
みんな幸せそうだ。
散歩をしていると
頭のなかにたくさんのことが降って湧いてくる。
以前、相撲の地方巡業のチケットをたくさんいただいたことがあり、
それが金沢場所だったため、
大阪にいる私はチケットを捌くのに難儀したことがある。
ひとから頂戴したチケットだから、
喜んでもらえるひとにお届けしたい。
でも、金沢に知り合いなんていたっけ?と考えるほど
知人は少ない。
大阪在住の人々に、金沢の知人・友人に喜びを送ろう!キャンペーンを展開。
(私ひとりの主催ですが…)
すると、ポツリポツリと出てきました。
金沢に実家があるひと、嫁いじゃったひと、
金沢に帰ってしまった友人などなど。
でも、試合開催日までもう一週間しかないという差し迫った日程。
たいていのひとは予定が決まっていて空かない。
なのに!なのに!
チケットをくれたひとは、
「ちゃんと差し上げてくれた?」
「実際に行ってくんなきゃ困るんだからね」とうるさい。
だいたい東京よりも大阪のほうが金沢に近いからという理由で
私のところにチケットを郵送してくれたのだ。
開いた口がふさがらない。
ふ~っ。
あの手この手で探すこと一週間。
どうにかこうにか格好がついたが
そのときの私は、「こんな面倒に巻き込まれるのはコリゴリ!」
そんな気分だったのだ。
ところが、巡業当日が終わり
チケットを差し上げたご夫婦や友人たちからお礼の品をいただいた。
丁寧なコメントとともに。
「相撲好きの父に喜んでもらうことができて、
久しぶりに親孝行ができました。ありがとうございます」って。
私とて、金沢で数年ぶりに大切な友人に会えるきっかけをもらったのだ。
なんであのとき「コリゴリ」なんて思ったんだろうなあ。
感謝すべきは私のほうだったのに。
心に残る思い出って、その裏側にはいろんなドラマが秘められているものなのに。
ドラマが面白いのは、予想外のハプニングが起こるから。
面倒なことこそが、実は楽しい出来事の前半分なんだなあ。
さて、私はパン屋さんに到着後、
お目当てのパンを購入して、少しお茶することに。
隣りの席では、なにやら大きな声でおばさんふたりがエキサイトしている。
どうやら職場に新しくやってきたチーフなるお姉さんが
生意気で無責任で礼儀知らずで…とにかく気に入らないらしい。
ふたりで意気投合し、話題も次から次へとでるわ、でるわ。
私は、ふと思う。
でもよく考えてみたら、誰かとお茶をするきっかけを与えてくれたのは
そのお姉さんがいたからなのだし
悪口言いながらでも共感しあえる仲間にめぐりあえているのは
やっぱりそのお姉さんのお陰ともいえるのだ。
面倒と楽しいは、やっぱりふたつでひとつ。
だから、にぎやかで実に華やか。
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